ゆるトーク 〜みつけよう、あなたにぴったりのアーユルヴェーダ〜 #69 自己肯定感の高め方
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第69回は、自己肯定感の高め方について。 アーユルヴェーダでもサットヴァ(純粋)のエネルギーを高めると自分への信頼感が増します、といわれています。ただ、そういう時、同時に謙虚じゃない、うぬぼれも付随するように思えてしまいます。「自己肯定なんて高めなくてよし」「幸せな人は幸せを気にしない」というドキッとするフレーズがタダヒコさんから飛び出しました。その真意とは?
自然体でいられる心と体の関係を追求しながら、何事も一歩踏み出す勇気をもち経験することをモットーに日々学びを深めている。
ヨギー・インスティテュート500時間認定
作業療法士国家資格
アーユルヴェーダ学会アーユルヴェーダ・セルフケア・アドヴァイザー
仏教教師資格課程修了
全米ヨガアライアンスコース500時間(RYT500)講師
メディテーション・ベーシックコース(MBC)講師
セラピューティックトレーニングコース講師
シニアヨガ・トレーニングコース講師
ヨーガニードラ・トレーニングコース講師
見つけよう!あなたにぴったりのアーユルヴェーダ。
こんにちは。
ヨガインストラクターのアヤです。
このプログラムでは、
アーユルヴェーダの知恵に救われ続けている、ヨガインストラクターのアヤが、
毎回ゲストをお招きし、健康や美容に関する、
日常に生きる、ちょっと役立つ知恵をお届けします。
進行のサポートをしているしちさんです。
しちです。よろしくお願いします。
yoggyairのライブストリームでは、アーユルヴェーディックヨガのクラスが
毎週日曜日の朝10:30に私、アヤが行っています。
そして、隔週金曜日の夜20:30にヒロ先生が担当しています。
季節に合わせた体のケアの知識とともに、ヨガで体を動かしていくクラスです。
また、アーユルヴェーダ料理研究家の水野香織さんによる アーユルヴェーダキッチンを、月3回月曜日の夜19:30に開催しています。
アーユルヴェーダの食べ物やハーブのお話し、そして実際のレシピについてのお話しを聞くことができるクラスです。
ぜひ、クラスでお会いしましょう。
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アヤ
今回は、『自己肯定感の高め方』についてゆるトークします。
ゲストはタダヒコ先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。 -
タダヒコ
よろしくお願いします。 -
アヤ
「自己肯定感を高める」っていう言葉が、 結構巷では話題になってたりとかするんですけれども。
なかなかこの肯定感を高めるって…、 ちょっとハードルが高い人もいるんじゃないかなと思って、 あえてトピックにさせていただきました。
アーユルヴェータとか、ヨガの中では、 生命エネルギーの「グナ」というお話の中で例えられてたりとかするんですけれども。 このサットバなエネルギーっていうのに満たされると、 自分への信頼感が増しますよっていうことでよく言われたりします。
私の実感としてですね、 このサットバのエネルギーを高めていくときに、 どうしてもラジャス的なエネルギーのところもちょっと通ったりとかするんですよね。
なので、それが、時に自分自身のうぬぼれとか、 ちょっと謙虚じゃない自分自身っていうものも出てきたりとかする状態とかも 経験したことあるんですけれども。
このうぬぼれとかですね、 そういうものが、ありすぎず、 自分へ信頼を高めていく方法っていうものは、 どういうふうにしたらいいものなのかなと思って、 タダヒコ先生にお話をお伺いしたいなと思います。 -
タダヒコ
ありがとうございます。
まず最初にですね、 自己肯定っていうことは、 自己否定がないと成り立たないってことなんですよね。
肯定するには否定が必要でしょ。
これセットなんです。
だからまず、自己否定って悪いものじゃない。
自己否定できた方がいいです(笑)
じゃないと、何でもね、レディーゴーになるでしょ。
自己否定大事です。
自分はいけなかったって思えるってすごく大事。
ただ、今まで全てが自己否定だった人には、 自己を肯定するっていう反対の要素もあるっていうのを知るのは すごく重要なんですね。
この肯定と否定って、 コインの裏と表の関係なんですよ。
だから、ちょっとしたことでくるって変わっちゃうんです。
なので、自分を肯定できてきたな~と思ったけど、 何かのきっかけでくるって変わって、 すぐ自己否定が始まったりするんですよね。
だから、自己肯定を高めようなんてしなくてよし!っていうのがお話です。 自己ってね、私瞑想の観点から話しますけど、 自己ってないんですよ。
自己って、考えでしかないのね。
だから、その考えでしかないあやふやなものを高めようとしなくていいし。
反対にそれを否定もしなくていいんです。
だからこの自己そのものが落ちちゃうと、 自然な肯定が生まれてくる。
我が落ちると当たり前の肯定が生まれてくる。
宇宙って肯定で満ちてるんですよ。
全ての存在は許されてるから今ここにいるじゃないですか。
私たちも、今いるってことはもうすでに許されてるし、 すでに愛されてるんですね。
だから、無理に高めようなんかしなくていい。
その自己が薄れて、なくなった時に本質的な自己肯定って勝手にそこにある。
だから、無理に頑張らなくていい。 -
アヤ
なるほどですね。
否定的な自分自身を見つめていくというか、 それを認めるっていうのは、 ある意味自分の現状を知るっていうことにつながってきますかね。 -
タダヒコ
最初はその両極ですよね。
自己肯定と自己否定、両方あることを知るっていうのが大事。
第二段階は、その自己そのものが、 ただの思考の塊であった。
思い込みであったっていうことに気づく。
だからステップがあるんですけどね。
で、多分ね、サットバって、自己がないところなんだと思う。
クリアで、純粋で無垢な状態。
サットバの時って、多分タマスのこともラジャスのことも気にしてないかもしれないね。 もう超えちゃってるから。 そんなイメージですかね。
だから、自分に自信持てないんです、とかね。
自分に自信つけたいんですっていう方も結構いらっしゃるんだけど、 それもしなくていい。
結局自信持ってる考えがその時あるだけ。 あるいは自信ない考えがあるだけ。
考えそのものを落としちゃえば、自信のなさってなくなるんですよ。
そして、静かな信頼がちゃんと湧いてくる。
そういう見方を私はしています。 -
アヤ
その静かな信頼っていうのは、 なんか無条件にこれでいいんだって思えるような、そういう感覚ですかね。 -
タダヒコ
そうそう。
コインの裏表を超えちゃってるってことですね。 -
アヤ
そうか。
比べるものがある時っていうのは、 結局そのグナの影響があるっていったところですね。
そのサットバのエネルギーの中でも、 特にグナを超えたところの本質に近いところに行くと、 多分究極的な純粋さっていったところ… 無我の状態になっていって、 そしてその…「これでいい」って自然と認められる状態… -
タダヒコ
バカボンのパパですよね! -
アヤ
「これでいいのだ」ですね^^
なるほどですね。 -
タダヒコ
無理に自己肯定を上げようとすると、 本当にエゴが高まっていっちゃって、 私は素晴らしい、けどみんなはそうでもない、みたいになると思う。
自分は特別って思い出したらもう危険信号。
だから、変に高めようとしなくていいし、 最終的にはもう自己肯定なんて気にもならなくなるんだと思う。 全く気にしてない。
幸せな人って幸せなこと気にしないんです。
不幸だから幸せが気になるのね。
だからそれと自己肯定も似ていると思っています。
全く気にならなくなっていくんだと思います。 -
アヤ
なるほど。
なんか、こうこうなりたい!みたいな形で、 何々したい!とかっていう風な表現が出てくる時っていうのは、 それが叶っていないから、そういう願望というか、 そういう願いっていうものに乗せて言葉に現れる。
やっぱりそこの、何々したいとか、こうなりたいとか、 そういうものさえもむしろない状態になって、 今ここで見える景色というか、味わっているものを、 純粋に味わせていただくような、
そんな感覚とかと同じ状態ということで捉えて大丈夫ですか? -
タダヒコ
だと思います。
宇宙が完全肯定しているから今ここにいる。
人と違っていていい。
同じだと意味がない、コピーだと意味がないから。
そのデコとボコを持っているありのままでいていいよって、 完全に今もう肯定されてるんですよ。 だからいるから。
そうすると別にそれを高めなきゃもない。 -
アヤ
私だいたいぼーっと生きてるんですけど(笑) -
タダヒコ
そうなんですか!
最高ですね^^ -
アヤ
本当にこう、 自分が苦手とすることとかって、やっぱあるんですよね。
どんなに頑張ったとしても、 例えばなんですけど、 私スケジュール管理がめちゃめちゃ苦手なんですよ。
自分を管理するのがめちゃくちゃ苦手で。
スケジュール帳に書いてたりとかするんですよね。
やっぱりイレギュラーな出来事があったりとかすると、 やっぱりちょっとこうなんだろう、 できない自分っていったところを認めてしまっているから、 毎日のようにスケジュールを見ていくんですよ。
そうした時にですね、 やっぱりふと…、私は苦手…だけど、すごい得意な人が周りにいて、 その人たちが先に連絡をくれたりとか、 明日は食事会があるから何時にお店取ってるよ、 みたいな形で連絡を先にしてくれるんですよ。
なので、やっぱりデコボコの穴を埋めていくじゃないけど、 お互いに支え合って生きてるなっていうのを、 すごく実感する瞬間もあるんですよね。
で、やっぱその時って、 多分お互いがお互いのいいところっていうのを補い合ってる。
なんかそういう関係性があって、 別にお互いに罪悪感も何もなく、 自然体でいられるっていうのは、 友達と付き合っている時でも長続きする一つの秘訣なんだなっていうのを、 年を重ねたからこそ見えてきたものもあるかもしれないけど、 本当にありがたい環境に恵まれているなっていう風に思ったりします。
なので本当に「これでいいのだ」って。
無理やりこう自分の苦手なことを頑張りすぎず、、
やってみるのは良いと思う。
やってみてやってみて、何度も玉砕して、 やっぱり10年経ってもダメだったってなれば、 なんかきっとね、それを見守ってくれている存在というのもいるでしょうから、 そこにもうお任せしていいんじゃないかなっていう。 -
タダヒコ
パズルのピースの理論があって、 パズルのピースって、デコボコがあるじゃないですか、 へっこんでるとこないと隣とはまらないよね。
だから例えばへっこんでるところが自分の苦手なところだとしたときに、 ちゃんとそれを埋めてくれる人がいてくれてくれて、 相互作用してるんですよね。
宇宙全体が大きなパズルだとすると、 私たちもそこの一個にはまっているわけで、 そのワンピースを無理に自己肯定を上げなくていいですよね。
だって全体の一部だから。 そして全体はすでに肯定されているから、ってとこですね。
逆にだから埋めちゃうと、 他の人がせっかくそこに入ってくれたのに、 入ってくれなくなっちゃう。
だから完璧になろうとする必要は全くなくて… -
アヤ
背伸びしすぎることもなくて、
自己卑下しすぎることもなく、 -
タダヒコ
全くない。
得意なことはやってあげて、苦手なことはお願いします、ありがとう、 でいいと思います。 -
アヤ
すごくシンプルですね。 -
タダヒコ
すごくシンプルだと思います。
それをすごく複雑にしているのが私たちのエゴですよね。
こうあるべき、みたいな。 -
アヤ
ありがとうございます。
すごく肯定感のお話から、 人間関係のスムーズなあり方に至るまでご教授いただいたような感じで、 本当に素敵なお話でした。
今日のお話はいかがでしたでしょうか。
自己肯定感の高め方についてお話を伺いしました。
タダヒコ先生いわく、 肯定感は否定感から始まるものだ、というふうに、 すごく名言をいただいたような気持ちになりました。
やっぱり否定的な言葉とか、 否定的な感情というものは、 やはり何かしちゃいけないのかなという罪悪感も、 もしかしたら持たれる方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、 全然そんなことはなくて、 むしろその否定感得られるものの方が宝なんだよっていうふうな、 本当にありがたいお言葉をいただいた気がします。
そしてパズルのピースのように、 それを補ってくれる存在、 そして周りの人の支えというものがある、 そしてそこに信頼を寄せていくといったところが、 究極的な豊かさにつながってくるんじゃないかというふうに 受け止めさせていただきました。
日常に生きるちょっと役立つ知恵、次回もお楽しみに♪