ゆるトーク 〜みつけよう、あなたにぴったりのアーユルヴェーダ〜 #91 ヨガの教え「非暴力(アヒムサ)」で学んだこと
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第91回は、ヨガの教え「非暴力(アヒムサ)」で学んだことについて、ヨガインストラクターのミヅホさんにお話しを伺いました。心のヨガには8つの段階があるといわれ、その1つに「非暴力=アヒムサ」という実践方法があります。非暴力の概念は、あらゆる存在を尊重する教えでもあります。ミヅホ先生は、「強烈に学んだことがある」と、ヨガのベーシックトレーニングコースでの体験をお話しくださいました。
自然体でいられる心と体の関係を追求しながら、何事も一歩踏み出す勇気をもち経験することをモットーに日々学びを深めている。
ヨギー・インスティテュート500時間認定
作業療法士国家資格
アーユルヴェーダ学会アーユルヴェーダ・セルフケア・アドヴァイザー
仏教教師資格課程修了
全米ヨガアライアンスコース500時間(RYT500)講師
メディテーション・ベーシックコース(MBC)講師
セラピューティックトレーニングコース講師
シニアヨガ・トレーニングコース講師
ヨーガニードラ・トレーニングコース講師
見つけよう!あなたにぴったりのアーユルヴェーダ。
こんにちは。
ヨガインストラクターのアヤです。
このプログラムでは、
アーユルヴェーダの知恵に救われ続けている、ヨガインストラクターのアヤが、
毎回ゲストをお招きし、健康や美容に関する、
日常に生きる、ちょっと役立つ知恵をお届けします。
進行のサポーターをしているしちさんです。
しちです。よろしくお願いします。
yoggyairのライブストリームでは、アーユルヴェーディックヨガのクラスを
毎週日曜日の朝10:30に私、アヤが行っています。
そして、隔週金曜日の夜20:30にヒロ先生が担当しています。
季節に合わせた体のケアの知識とともに、ヨガで体を動かしていくクラスです。
また、アーユルヴェーダ料理研究家の水野香織さんによる、
アーユルヴェーダキッチンを月3回月曜日の夜19:30に開催しています。
アーユルヴェーダの食べ物やハーブのお話、そして実際のレシピについても、お話しを聞くことができるクラスです。
ぜひ、クラスでお会いしましょう。
-
アヤ
今回のゲストは、関東のスタジオヨギーで活躍されているミズホ先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。 -
ミズホ
よろしくお願いします。
ミズホと申します。 -
アヤ
すごい柔らかい口調で…、
ずっと物語を喋ってほしい感じの柔らかさがありますね^^
夜寝る前に聞きたい声です。 -
ミズホ
外面です^^
外面に限ります(笑) -
アヤ
そんなことはないと思いますが(笑)
柔らかいミズホ先生のお話を、今日はお伺いしたいなと思っております。 よろしくお願いします。
心のヨガというのが実際に8つ…段階的にあって。
そしてそれを、ヨガを学んでいる方は実践されているんじゃないかなと思っています。 その中の一つにですね、『非暴力/アヒムサ』という実践方法というものがあります。
これはですね、マハトマ・ガンディさんの実践で有名になっている、 実践方法になっているんですけれども。 この非暴力の概念というものは「あらゆる存在を尊重する教え」ということでもあります。
ミズホ先生は、実際にヨガの実践もされていて、 心といったところとも、長らく付き合っておられると思います。
その心のヨガというものを、丁寧に取り組まれている中でですね、 非暴力の実践から学んでいったこと、というものは何かありますか。 -
ミズホ
強烈に学んだことがあるんですよ。 -
アヤ
え、何ですか? -
ミズホ
非暴力の実践から強烈に学んだことは、 私という人間が、いかに暴力的な、凶暴性のある人間かということを 思い知ったという経験です。 -
アヤ
えー…
今日の雰囲気から全然想像がつかないんですけれども、どういうことでしょうか。 -
ミズホ
私、それこそ15年前に、このヨギーさんのBTCに入って、 何回目かの宿題で、ヨガの実践的な教えの…ヤマ・ニヤマというところの、 何か一つの項目、道徳的な教えの一つを一週間守って実践して、 レポートしてきなさいという宿題が…、皆さんやったことあるかもしれないけど。
いろんな教えがあって、
・非暴力に徹しなさい
・正直でありなさい
・盗まみなさんな
とか、いろいろとあるじゃないですか。
その中で一番守れそうなのは何かなと思って、 暴力は振るうことないから守れるだろうと思って、 それを選択して、余裕しゃくしゃくで1日目を迎えたわけですよね(笑)
その時に、私…
BTC入った直後に、妊娠していることがわかってしまい、 これもヨガの学びを深めるのにとても役立ったことだなと、 自分には意味のあったことだなと思うんですけど。
妊娠して体調が優れない中、日々の生活をしながら、 非暴力に徹しなさいとなんぞや!って哲学をする1週間を送っていて、 1日目に気づいたのは、
自分の体調が優れないから、生活がちょっと荒いんですよね。
物を取るのとか、物を置く動作とか、 食器を洗う動作とか…、音を立てながらやっている自分に気づいて、 あら?なんかもうちょっと丁寧でもいいんじゃないかしらって。
自分も、もしかしたらこれちょっと、 物に対しては少し暴力的な物の置き方なのかもしれない、とか… まぁそれくらい可愛らしく考えてたわけですね。
2日目、3日目と色々とやっていく中…
音を立てずに、物に対して少し丁寧に行動してみようと思うと、 動作が遅くなるじゃないですか、物理的に。
そうすると、今まで平気で何も考えず行動していたものが、 少し丁寧になるだけで時間がかかって、 時間がかかると、自分でイライラしていることに気づいてしまって、
なんか…あれ?どうした?って。
ちょっと自分を丁寧にただ見つめているだけなのに、 なんかイライラついている自分がいて、どうしたんだ私?って思ってたんです。
その、非暴力に徹底しなさいの教えの中には、 体・行動で、口・言葉で、心・思いで、 暴力をふるってはいけないよっていう教えがあるのと同時に、 自分にストレスを抱えてもいけないよっていう…、 ストレスは自分に対する暴力だから、自分にストレスを抱えちゃいけないよって、 私、態度で物を粗末に扱わないように気をつけて、 心で苛つかないように気をつけて、 言葉で攻撃しないように気をつけながら、 自分がイライラしていることに気づいてしまって、 おや、私って八方塞がりになっている、今って思ったんですよね。
そんな中、ちょっと事件が起こって。
その当時、私お勤めをしていたんですけど。
会社の近くにちょっとデパートがあったんです。
そのデパートって今、大概出入口って自動ドアが多いと思うんだけど、 デパートならではの、重い扉ってわかります? ガラス戸のグーッと押さなきゃいけない重い扉を、押そうとしているベビーカーを 持ったママさんがいらっしゃったんですね。ちょっと遠くに見えたんです。
その遠くに見えて、でも私それこそ妊娠しているから、 駆け寄ってその扉を押さえてあげることができないうちに、 そのママさんどうするのかなぁ?って遠くから見てたら、
どうにかこうにかベビーカーをよけながら、その重い扉をよいしょーって開けて、 さあベビーカーを滑り込ませるぞ!とした瞬間に、 若いスーツの男の子が、スンとその隙間をすり抜けていったんですね。
で、なんか私ちょっとムカついちゃって。
おや、そこはお前さんが持ってあげてていい場面じゃないのかいって思っちゃって。
で、せっかくその、やっとどうにかこうにかベビーカーをよけながら開けて、 そこにベビーカーを切り返して入れなきゃいけないお母さんの、 邪魔をするようにスンと入っていった若者に、 なんかすごく、憤りを感じてしまって。
なんかなんだろうと、もやもやしながらその日を、家に帰ったんですね。
で、言葉で別にその人に文句言ってないし、
態度でその人に示したわけでもないけど、
心でも思っちゃいけないって…。
この怒りは持っちゃいけないってどういうことなの?って思ったんですね。
で、このイライラする気持ちを持っちゃダメって言われたら、 私すごくストレスが溢れちゃうと思って、 これどういうことなの、これ全部がダメって…、 非暴力に徹するってとっても無理な話じゃなあい?って思ったんですけど、 何かの拍子に、どうしてこれをイライラしちゃダメなんだろう、 どうしてこれをイライラしちゃダメなんだろう…って思った時に、
私、実害あった?って思ったんですよね。
私がされたわけじゃないじゃないですか。
やっとこそさ開けたの私じゃないし、 私がそこにベビーカーをやっとの思いで入れたかったわけじゃないし、 なのになんで私がこんなに怒ってるんだろうって思って、 あれ、そうか、私、怒る必要ないけど、なんで怒ってるんだろうって思った時に、
私がただ、してあげたかっただけなのかもしれないって思ったんですよね。
ドアを開けてあげれたら、そのお母さんはスーっと入れたかもしれない。
でも私はそこに駆けつけなかった。
自分のその正義感を押しつけてるだけなのでは?ってちょっと思ったんですよね。
で、あれ?そうか!私…、自分のやりたかった気持ちを、 やるべきでしょ!っていう価値観に置き換えて、 なんであの人はやらないの!って攻撃する気持ちを持ったけど、 もしかしたらそのベビーカーのお母さんは、 忙しいお兄さんのために、ちょっと役立っちゃったかなって。
こう…気楽に考えてるかもしれないわけじゃないですか、可能性としては。
でもただ私は、自分が開けてあげたかったのに開けれなかった、 その何か言い訳を、変な正義感に変えて、 その人に振りかざして、あいつは悪い奴だって、 勝手にそうやって押し付けて、イライラして、 なんでこんなに怒っちゃいけないっていうのーって、自分の中で 怒りを爆発させてたんだけど。
私、こんなにその自分の身勝手な価値観を、 人になすりつけて、こすりつけて、投げつけて、 勝手にイライラしてるのか!って思った瞬間に、 なんか相馬灯のように…、 私あの時もそうだったかもしれない、あの時もそうだったかもしれない、 常々こうかもしれないって
いつも私を投げつけて、私の価値観をなすりつけながら、人に。
なんでこんなことしてくれないの?なんでこうなの?あぁなの?って。
私すごい嫌なやつ!って思っちゃったんですよ。
で、強烈に自分が、私恥ずかしい~
今までも私、ずっとそうだったかもって…。
私と付き合ってくれてる家族とか友達とか、ごめんなさい~って、 なんかその時にすごく思って。
それと同時に、そんな私でも仲良くしてくれる人がいるんだとか、 そんな私でも居ていい場所があるんだとか、 そんな私を頼りにしてくれる人がこの世にはいるんだって気づいた時、 なんて世界は優しいんだろうって、ちょっと、すごい世界!って思っちゃったんです(笑)
こんな暴力的な人間を、置いてくれる世界は優しいなって。
とにかくその時、「優しいなこの世界は」って気づき、 あ、だったら私もその世界で、極力優しい人でありたいって、 なんか強烈に思ったんですよ。その1週間のその課題で。
いかにこの1週間をかけて自分が、 あ、暴力的なのかもしれない。もしかしたらこれって暴力って、 ヨガの知恵では判断するのかもしれない。 暴力だった!っていう…、
なんか、驚愕に、極悪人だった!みたいな気づきが自分の中であって。
だから、こんな私を置いてくれる世界は優しくって、 それって多分万人にも言えて、 『私』っていう人もそうだけど、『私が好きな人』もこの世界に置かれていて、 『私の苦手な人』もこの世界に置かれていて、 『今苦しんでいる人』も、『今笑っている人』も、 『すべての人』がここにいてOK!!って、ここに置かれている世界なんだから、 すべて正しい!ってちょっと思えた、のかな。
だから、こんなちっちゃな私が、あれこれ…あれは悪だ、 あれがいい、これは嫌いとか、判断・ジャッジする世界って、 ちょっとしょうもないなって思ったっていうか。
私の中ですごく強烈な、自分の中の気づき…、 カタカタと連鎖していく気づきがすごく強烈だったんですね。
だから、アヤさんのあれにもありましたけど、 万人にあらゆる存在を尊重する教えっていうのは、 身をもって体験した経験だと思います。15年前の。
だから私は、ブラックミズホちゃんが出てこないように一生懸命、 日々戦っているところでございます、自分と(笑) -
アヤ
貴重な話ですね。
いや~本当分かります。
非暴力の実践とかもそうだし、 私は『期待をしない』とか、その部分と絡めてやっぱり実践していくと、 結局やっぱりこの非暴力の教えとかが繋がってくるなっていうのも実感したんですよね。
やっぱりその、ミズホ先生がおっしゃっていた、
自分の期待値、自分の思いっていうのを、他人にぶつけていくときに、 思い通りにならないことが目の前で起これば、やっぱりムカついたりとか、 自分の正義感を押し付けようとしたりとかする癖であったりとかっていうのが、 やっぱり顔を出してきて、そのたびに私って、ちっちゃいな~とか。思い知っちゃいますよね。
さっきまで正義感あふれる形で意気揚々としてたのに、 でもまたちっちゃい自分を見せつけられて、 本当に傲慢なのか、ただのいくじなしなのか、みたいな感じで、本当に揺れ動かされる。
そうやっていながらも、自分自身の軸っていったところ、 謙虚さっていったところも…、行き過ぎるとそれはちょっと違ったりとかすると思うんですけど、 人を大事にする心であったり、自分自身を大切にする心であったりっていったところを、 今一度思い出していくところに戻していけば、 本当に後半の方でおっしゃられていた、 本当にこの世界は優しさで包まれているんだなっていう、 その言葉一つに尽きるんじゃないかなっていうふうにお話し聞きながら感じました。
ちょっとすごい感動して、ちょっと涙が今、目頭に出てますけれども(笑) -
ミズホ
ほんと…^^
優しくありたいって、自分の軸に出会えた。
優しくありたいんだっていうところに出会えたきっかけでもあるとは思います、ほんとに。 -
アヤ
すごく大きいですよね、その気づきっていうものはですね。
ありがとうございます。 -
ミズホ
こちらこそ、ありがとうございます。 -
アヤ
今日のお話はいかがでしたでしょうか。
非暴力について、ミズホ先生の体験からのお話をお伺いしました。
ヨガの聖典の中にもありますけど、 机上で学ぶこと、人から話しを聞いて学ぶこと以上に、 自分自身で経験することというものが、 とても崇高な教えである、というふうにも言われています。
ミズホ先生の、今回の非暴力の体験といったところを特に丁寧に、 そして意識を持って取り組まれているからこそ、 この15年前に起きた出来事から今に続いているんじゃないかなと思います。
貴重なお話をありがとうございました。
日常に生きるちょっと役立つ知恵、次回もお楽しみに♪