ゆるトーク 〜みつけよう、あなたにぴったりのアーユルヴェーダ〜 #148 ヨガと仏教の共通点
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第148回は、ヨガと仏教の共通点について。ふだんゲストを迎えてお話をしていますが、ヨガを学ぶうちに仏教との関係性を知りたくなり、大学で学んでいるアヤに、ヨガと仏教の共通点についてサポーターのしちが聞いてみました。仏教の開祖、お釈迦様も瞑想やヨガ的な実践をしていた…。仏教の聖典、ヨガの聖典に共通しているものとは?
自然体でいられる心と体の関係を追求しながら、何事も一歩踏み出す勇気をもち経験することをモットーに日々学びを深めている。
ヨギー・インスティテュート500時間認定
作業療法士国家資格
アーユルヴェーダ学会アーユルヴェーダ・セルフケア・アドヴァイザー
仏教教師資格課程修了
全米ヨガアライアンスコース500時間(RYT500)講師
メディテーション・ベーシックコース(MBC)講師
セラピューティックトレーニングコース講師
シニアヨガ・トレーニングコース講師
ヨーガニードラ・トレーニングコース講師
見つけよう!あなたにぴったりのアーユルヴェーダ。
こんにちは。
ヨガインストラクターのアヤです。
このプログラムでは、
アーユルヴェーダの知恵に救われ続けている、ヨガインストラクターのアヤが、
毎回ゲストをお招きし、健康や美容に関する、
日常に生きる、ちょっと役立つ知恵をお届けします。
進行のサポーターをしているしちさんです。
しちです。よろしくお願いします。
yoggyairのライブストリームでは、アーユルヴェーディックヨガのクラスを
毎週日曜日の朝10:30に私、アヤが行っています。
そして、毎週水曜日の昼12:30にマイコ先生が担当しています。
季節に合わせた体のケアの知識とともに、ヨガで体を動かしていくクラスです。
また、アーユルヴェーダ料理研究家の水野香織さんによる、
アーユルヴェーダキッチンを月3回月曜日の夜19:30に開催しています。
アーユルヴェーダの食べ物やハーブのお話、そして実際のレシピについても、お話しを聞くことができるクラスです。
ぜひ、クラスでお会いしましょう。
-
アヤ
今回は『仏教とヨガの共通点』についてゆるトークします。
ナビゲーターのしちさんと一緒にお話しをさせていただきます。
しちさん、どうぞよろしくお願いいたします。 -
しち
よろしくお願いします!
いつものゆるトークは、ゲストの方をお呼びしてお話しをお伺いしているのですけど、 アヤ先生のお話しも伺いたいなぁと思いまして、このような企画になりました。
アヤ先生は、ヨガでもよく瞑想の話だったりとか、 ブッダの話が出てきたりしていますが、 ヨガと仏教って何か共通点が多いんじゃないかなぁって、 思ってらっしゃる方も多いと思うんですけれども、 どんな共通点があるんでしょうか? -
アヤ
私も専門家ではないんですけれども、
私がこの2年間、大学で学んできたことの中で、 ヨガとすごく関係しているな~ということが、 いくつも感じることができました。
例えばですね、
仏教の開祖であるお釈迦様なんですけれども。
ゴータマ・シッダールタもですね、 修行というものをしていて、苦行と言われているもの、 そして瞑想の実践って言ったところを悟りを得る前にしています。
そういう意味ではですね、 お釈迦様自体も瞑想の実践者、といったところになっていきます。
その瞑想した後でですね、 実際に悟りを得る、ということになっていくんですけれども。
「悟り」とは、私たちの輪廻から抜け出すこと、 要は解脱(げだつ)をしていくこと、 もしくは宗教的な目覚めを開いていくこと、 そして、究極的な「気づき」の瞬間を、 随時持ち続けていくことっていうふうにも言われていますね。
ですので、その状態に至ったっていうお釈迦様っていったところも、 実はその一部分でヨガの実践をされていた、というところでは、 共通点はあるのかなっていうふうに感じています。
また、ヨガでも私たちの心の在り方っていったところを言及しています。
仏教でも実は、その心のあり方っていったところを言及していたりとかするので、 その心というものを、どのように取り扱っていくのか…、 心そのものをどのように受け止めていくのか、 といったところが共通点としてあるんじゃないかなと思います。
もちろんいろんな考え方がありますので、 ヨガの聖典の中に書かれていること、 そして仏教の様々な聖典の中で書かれていることということは、 じゃあその心の苦しみ…、心が少しでも楽になる方法は何なのか?って いったところが、様々に説かれていたりとかするんですけれども。
その実践方法とか、こういう風な視点を持つといいですよ、みたいな、 そういうヒントっていうものは、その様々な聖典の中に書き連ねている っていう風な状態になってます。
ですので、方法はもしかしたら違うかもしれないですけれども、 目的とするところっていうのは、その心が少しでも平和になって、 苦しみから解放されていくにはどうしたらいいのか、 ここの追求に共通点がある、という風に感じています。 -
しち
ありがとうございます!
アヤ先生はあれですか…、
もちろんヨガのインストラクターさんなので、ヨガを先に知っていたのかもしれないですけ、 仏教にもご興味を持ち始めたっていうのは、何かきっかけがあったんですか? -
アヤ
そうですね。
やっぱりヨガを勉強していると、 どうしても仏教のお話とかが出てきたりすることは実際にあって。
ヨガの聖典『ヨガスートラ』っていう本があるんですけれども、 その聖典の中でも、実はその仏教の思想っていうのが影響している っていう風に言われています。
で、そういったところの真意を確かめていくべくですね、 仏教っていうものがどういう風にして成り立ったのかとか、 そういう歴史的な背景から、インドそのものの文化的なものっていたところ、 そして現代に至っていくまでの仏教の流れ、 といったところを知ることによって、どの部分の仏教を学んでいけば、 ヨガと共通しているのか。 そして、現代でも言われている、慣れ親しんでいる仏教の教え、 結構日本人だと生活の中に浸透してたりとかするので、 そういったところが、私たちのDNAレベルで組み込まれているとするならば、 なんかそういうヨガの特別な教え、プラスもっと身近な教え、 おばあちゃんの知恵みたいな感じの身近な教えっていったところが、 仏教の中に隠されてるんじゃないかなと思って、 それで仏教を学んでみたい!っていう風に感じました。
で、実際に講義を聞いていくとですね、 なかなか面白いことがあったりとかするんですけれども。
例えば…、
全く違う話になるかもしれないんですけど(笑)
日本語で「玄関」って言葉がありますよね。
玄関って、元々どういう意味なのかっていう風に言うと、 仏教用語辞典っていうのがあるんですけどね^^ 仏教用語辞典の中には、 「奥深い教えに入る関門を意味とする」っていう風に書いてあるんですよ。
なので、本当に大事な教えを学んでいくための門っていう風なのが、 実はこの「玄関」の由来なんですよね。 ってなってくると…大変(笑)
一家に一箇所あるじゃないですか、玄関って。
で、そうすると、ちょっと綺麗にしたくなりませんか? -
しち
なります! -
アヤ
ですよね!
なので、ちょっと私、 その玄関の由来・本当の意味を授業で習ったんですけど、 聞いた時に、もう次の日の朝一番から、ほうきで掃きましたもん(笑)
こんな、玄関って、ただ靴を雑然と置いてるだけではダメなんだ! ちょっとでも綺麗にして、良い気を入れてあげなきゃ!っていう風な形で♪
自分の心づもりっていうのが、やっぱ変わっていくんですよね。
だから、何気なく日本語で聞き馴染みのあるような言葉であったとしても、 それが実は深い意味合いがあるっていうことを知るきっかけにもなったんですよね。
他にも・・・ 勉学を学んでいくときの「知識」っていう言葉がありますよね。 これを仏教用語辞典で調べていくと、どうなるかというと。 「友達のこと」って言うんですよ。友人のことって。 -
しち
へ~!!
ともだち?!
・・・
知人の知と一緒ですね、そういえば! -
アヤ
そうなんです!
で、よく善人・悪人とかって言ったりしますけど。
仏教でも、「善知識」良い知識って書いたりとかするんですよね。
で、それと同義語で「善人」っていう風に使われてたりするぐらい、 「知識」っていうのは、本来の意味をたどっていけば、 「友人のこと」っていう風になるそうなんです。
だから今、私たちがこうやっていろんなことを学んでいったりとか、 私も…仏教の学びもそうですし、アーユルヴェーダやヨガの学び、 それ以外にも様々な学びがあったりとかするんですけれども、 それらの知識っていうものが、実は友達っていう風に感じれば、 なんかもうちょっと親しみやすいものになっていくような気がするんですよね♪
なので、何かその知識っていったところの意味を知らずに「知識」って いう風に言うと、何か自分がその知識に溺れて奢っていくような感じがしてたんですけど、 「友人だ」っていう風にいったら…、
友人って大切にするじゃないですか?決しておろそかにはしないし、 自分を助けてくれる存在だったりするし、 逆に自分を鼓舞していくような存在であったりもするし、っていうことは、 その友人に助けられていることの方が多いんですよね。
ってなれば、その知識を持っているからといって、おごることなく、 本当にいつもありがとう!みたいな形で付き合いやすくなってくる、 っていう風に言えば、その言葉一つとっても、 親しみやすい何かに変わっていく気がしています。
なので、そういう現れというものはたくさんあったりとかするんですけれども。
じゃあその…、仏教でもヨガでも、苦しみを拭い去っていくには、 苦しみとどう付き合っていったら自分の心が安心していられるのかっていう風なことを 追い求めていけば、こういう身近にある言葉一つをとっても、 安心につながっていくきっかけになったりしますし。
人との関わり方であっても、安心につながっていくことっていうのは 多くあるんじゃないかなと思います。
仏教の用語で「縁起」っていう言葉っていうのが結構使われてたりとかしますよね。
縁起がいいとか、縁起が悪いとかですね。
その「縁起」の本当の意味っていうのは、 もともと因縁生起(いんねんしょうき)っていう言葉があります。
因っていうのは、原因の因になりますので、 直接の原因になっていくことを意味します。
で、縁起の縁っていうのは、外的な原因…、 自分以外の原因っていうことを示してるそうなんですよね。
なのでその、直接の原因があって、そしてそれに付随するような原因が関係しあって、 そしてその事象が起きている。
要は、世の中のことはすべて関係しあって、 今この瞬間に現れているんですよ! というのが縁起っていう意味になってきます。
なので、縁起がいいとか悪いとかそういう云々じゃなくて、 原因があって、今ここに現れているだけ、 これを教えてくれているだけっていう風に言います。
なので、「縁がある」とかっていう風に、 友人関係とか人との縁みたいな形で言ったりするんですけど、 「縁がある」ということは、それは一つの外的な原因の一つですよね。
なので、自分自身とその外的な原因っていったところが、 触れ合っていくことによって、おそらく、 いろんなことに気づかせてくれるっていう事が起きていきます。
まぁ、良い縁も悪い縁もっていう風に言うんですけれども、 良い縁っていうのは、自分の心が満たされていく。 そして悪い縁っていうのは、何かこう自分の苦しみの種っていたところが出てくる、 っていうようなイメージで使われますよね。
だけどこれを、もうちょっと噛み砕いていけば、 じゃあその悪い縁っていうものは本当に悪いのかって言ったら、 実はその苦しみという火種が自分の中にあって、 で、それが芽吹いていくっていうことを起こさせてくれてるものっていう風に思えば、 その火種になってくれるものを気づかせてくれたっていう意味では、 良いも悪いも何もないんですよね^^
ただ縁があって、それに気づかせてくれた、 それに気づくきっかけを与えられたっていう風に思うと、 何かそこの表面的な良し悪しでは片付かない、 自分自身を成長させていくきっかけを与えられている っていう風に考えることもできたりします!
なので、「縁起」とかね、 「縁」とかっていう風な言葉一つとっても、良し悪しではない、 何かの働きかけ、っていうふうに思えば、 もっと視野が広がった受け止め方っていうのができてくるのかな っていうふうに感じます。 -
しち
なんか、すごく…、視点というか、 なんか大きい空間で物事を見てるような印象を受けました。 -
アヤ
私も、ヨガをずっとやってると、 生活の中のヨガっていう風にも言われていたりとかして、 マットの上でもそうだし、 マットから外れた生活の中でのヨガっていったところも、 ずっとヨガの実践・心の実践っていったところはしてるつもりだったんですよね。
なんですけれども、やっぱりこういう風にちょっと違う視点から、 言葉の意味を、広い意味で捉えていくことによって、 ヨガで今まで学んできたこととかに、深みが出てきたんですよね。
なので、こうじゃなきゃダメだ!っていう、 一つのこだわりっていったところが和らいでいくというか。
こういうのもありだよね。
こういうのもありだよね。っていう風に、
なんか寛容さが広がっていく感覚っていうのが、 仏教の現代語訳の教えの中とかにもあったりとかするので、 宗教だからとかその以前に、 心のあり方について問うている本がそこにあるのだから、 1回は開いてみてもいいんじゃないかなっていうふうに、今は感じています。
本当に様々な宗派で、いろんな仏教の教えを説いてくださってて、 その解説本とかっていうのも本当に古い歴史のところから、 近代・現代に至っていくまでの、いろんな解説本というのが 出てたりとかするんですけれども。
でもやっぱり、その時代を経てもなお変わらない心のあり方っていったところを、 仏教の歴史・仏教の教えっていたところは教えてくださってるので、
心に興味がある人はぜひ!
難しそうだけど、入門の本とかもあったりしますので、 そういったところから入ってみるのも面白いんじゃないかな、とも思います!
あと私みたいに、仏教用語辞典みたいな感じでですね、 辞書で調べる!っていう(笑)
そもそもこの漢字の意味合いは何なのかっていう風に、 調べてみるっていったところでも、言葉に広がりが出てきて、 自分の視野が広がっていくきっかけになるのかなとも思ってます。
ま、こんな感じで、ヨガと仏教の共通点を見ていくと…、 大きなくくりで言えば、心つながりっていったところ。
そして、もうちょっと狭い意味で言えば、 自分を知るためにはどうしたらいいのか、っていったところが、 先人たちの知恵によって受け継がれているんだなっていたところを、 共通点として感じています。
もしかしたら、専門家から言わせれば、ちょっとそれザックリすぎませんか、 みたいな形で言われるかもしれないんですけれども(笑)
でも、素人目から見た仏教観ですね。
そういったところと、ヨガの教えといったところは、そういうところにあると感じています。 -
しち
ありがとうございます! -
アヤ
いつか僧侶の先生たちにもお話を聞く機会があれば、 それぞれ地域で活躍されていらっしゃる方もいますので、 ぜひ説法もしくは法話ですね。 聞いていただけると…、 あぁ、こういう風なことなのか、というふうに沁みることもありますのでね^^
ぜひ、肉体があるうちに行ってみられるのも、いいんじゃないでしょうか!
今日のお話はいかがでしたでしょうか?
仏教とヨガの共通点についてお話をしました。
私が感じていることではあるんですけれども、 もしかしたら共感していただける方も、 ちょっと違うんじゃないかって思っている方もいらっしゃるかと思います。
なんですけれども、すごくおおらかな目で、 物事を捉えていくという意味では、 様々な価値観に触れていくということは、私たちの成長につながっていくと感じています。
日常に生きるちょっと役立つ知恵、次回もお楽しみに♪