ゆるトーク ~みつけよう、あなたにぴったりのアーユルヴェーダ~ #181 移住したきっかけ
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第181回は、移住したきっかけについて、長野県駒ケ根市で「りんごのきのした農園」をご夫婦で営んでいる木下亜紀さんをゲストに迎えてお話しを伺いました。
幼少の頃はパキスタンで過ごし、大学、JICAでアメリカ、アフリカ、ネパールで暮らし、20年以上海外生活をしてきた亜紀さん。
ご主人が農業をするにあたり、駒ケ根市を選んだ訳とは?
自然体でいられる心と体の関係を追求しながら、何事も一歩踏み出す勇気をもち経験することをモットーに日々学びを深めている。
ヨギー・インスティテュート500時間認定
作業療法士国家資格
アーユルヴェーダ学会アーユルヴェーダ・セルフケア・アドヴァイザー
仏教教師資格課程修了
全米ヨガアライアンスコース500時間(RYT500)講師
メディテーション・ベーシックコース(MBC)講師
セラピューティックトレーニングコース講師
シニアヨガ・トレーニングコース講師
ヨーガニードラ・トレーニングコース講師
見つけよう!あなたにぴったりのアーユルヴェーダ。
こんにちは。
ヨガインストラクターのアヤです。
このプログラムでは、
アーユルヴェーダの知恵に救われ続けている、ヨガインストラクターのアヤが、
毎回ゲストをお招きし、健康や美容に関する、
日常に生きる、ちょっと役立つ知恵をお届けします。
進行のサポーターをしているしちさんです。
しちです。よろしくお願いします。
yoggyairのライブストリームでは、アーユルヴェーディックヨガのクラスを
毎週日曜日の朝10:30に私、アヤが行っています。
そして、毎週水曜日の昼12:30にマイコ先生が担当しています。
季節に合わせた体のケアの知識とともに、ヨガで体を動かしていくクラスです。
また、アーユルヴェーダ料理研究家の水野香織さんによる、
アーユルヴェーダキッチンを月3回月曜日の夜19:30に開催しています。
アーユルヴェーダの食べ物やハーブのお話、そして実際のレシピについても、お話しを聞くことができるクラスです。
ぜひ、クラスでお会いしましょう。
-
アヤ
今回は『長野県駒ヶ根市への移住のきっかけ』についてゆるトークします。
ゲストは「りんごのきのした農園」の木下亜紀さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。 -
木下亜紀
よろしくお願いします! -
アヤ
今回初めて、ゆるトークの方にもゲストで出演して頂いておりますので、 聞いてくださっている方に簡単にプロフィールを紹介したいと思います。
木下亜紀さんです。
幼少期をパキスタンで過ごし、 大学やJICA(ジャイカ)の仕事でアメリカ、アフリカ、ネパールなど、 海外生活を20年ほどしていました。
その後、日本へ帰国し、 現在の長野県駒ヶ根市で、「りんごのきのした農園」を、 ご主人とともに営んでいます。
多様な文化と触れてきた木下亜紀さんのお話を、 多角的な視点から聞けるのを楽しみにしております。
今回はどうぞよろしくお願い致します。 -
木下亜紀
お願いいたします。 -
アヤ
まずですね、 様々な地域で…、 日本だけではなくて、海外生活もされていて、 そして今の、長野県駒ヶ根市へ、 ご家族一緒に移住したきっかけのお話をお伺いしたいなと 思っています。
どういうきっかけでこの地域に移住を決めたんですか? -
木下亜紀
きっかけは、もともと夫がJICAで勤めていた時に、 転勤で駒ヶ根市に二年ほど勤務していたんです。
駒ヶ根市には、JICAの青年海外協力隊という事業の訓練所がありまして、 その訓練所で二年ほど勤務していた関係で、二年滞在しまして、 その後東京に戻ったんですけれども、 ちょうどその二年間の滞在期間中に、 福島…といいますか、東日本大震災が起きまして、 原発の問題がありとか、色々と生活のことを考え直すきっかけになった 時期だったんですね。
子供が今3人いるんですけれども、 子供がまだ小さかった頃で、やっぱり食べ物のこととか、 生活環境のこととかいろいろと考え直すタイミングだったんです。
で、東京に戻りまして、夫がですね、元々農学部出身だということもあって、 家庭菜園とかに興味を示して、少し市民農園借りてやったりしてたんですけれども、 市民農園レベルではちょっと物足りなくなってきたということや、 やはり自分で食べるものを自分で作るという気持ちがすごく強かった。
それともう一つは、 海外で日本がですね、農業支援を行う事業をマネージする仕事を やったんですけれども。
その中で、日本から海外に農業を指導する人が極端に少なくなってきている という危機感があったんですね。
それで、やっぱり日本の農業者がすごいスピードで減っていっているという現状を見て、 夫としては「自分が何とかしなくちゃいけない」と思ったらしく、 農業をやりたい!と言い出しまして。
まあ紆余曲折あって、移住すると。
で、農業をやるということになったんですけども、 じゃぁどこで農業しようか、といった時に、 夫が福岡出身なので、福岡でやろうかっていう話も一時あったんですけど、 ちょっと福岡遠いなということで、 やっぱり首都圏から近いところがいいねということで、 たまたま二年間住んでいてご縁があったので、 長野にしようということで、移住することになりました。 -
アヤ
その駒ヶ根市という地域なんですけれども、 特徴というか、ご主人も二年間生活されていて、 そちらで仕事をしていたっていうこともおっしゃってたんですけど、 その地域の特徴みたいなのって何かあるんですか? -
木下亜紀
そうですね。
まず、立地条件としては、 長野ってすごく長い県なので、 北はね、白馬とかそういったところもありますし、 東の方は軽井沢、私たちがいる駒ヶ根市っていうのは、 一応南の方に入るんですけれども、うんと南ではなくて、 諏訪湖から車で高速で30分ぐらいのところなんですね。
ですので、真ん中からちょっと下に降りたところで、 中央アルプスと南アルプスに挟まれている分、 立地条件的にはですね、非常に自然環境に恵まれているところです。
そういう自然環境がありつつ、 大きな川…、天竜川という川がありまして、 川を挟んでの町なんですけれども、人口規模としては3万人規模の小さな町。
先ほど申し上げましたように、青年海外協力隊の訓練所というのも 駒ヶ根市に設立されてもうはや50年ぐらい経つんですけれども、 小さな町でありながら結構国際的な雰囲気がある町です。 -
アヤ
その地域っていうのは、やはりそのいろんな…
海外や日本の中でも、 様々な地域から人が出入りする、 文化的な交流が盛んだって言ったところも、 移住の決め手になったということでしょうか? -
木下亜紀
はい!
それは間違いなくあります。
私たちはリンゴ農家になったんですけれども、 リンゴを栽培する場所っていうのは、長野県の中でしたらいろいろと、 各産地があるんですね。
ですが、私たちとしては、もちろんここに住んだ経験があったというのもあるんですけれども、 農業をやる上での、農業的な視点での場所選びっていうのは、 もちろん大事なんですけれども。
それ以上に、自分たちが生活して、 子育てをし、まあゆくゆくは場合によっては何十年も住むことになるかもしれない場所 と考えたときに、やはりいろいろな人と交わえる環境がいいなと思っていました。
そういう雰囲気の土台がある場所だったので、 最終的に駒ヶ根市に住むことに特に迷いはありませんでした。 -
アヤ
ああ、なるほどですね~
それで今移住されてから、もう数年経って、 すっかりこの地域での生活者になっているっていうお話だったんですけれども、 現在の生活はどういう風な感じでされているのでしょうか? -
木下亜紀
そうですね。
農園自体は夫と私と2人で、 ほぼほぼやっているんですけれども。
果樹農園っていうのは、まあ、農閑期から農繁期が非常にはっきりしてまして。
リンゴですと、主に9月から12月がもっともピークとなります。
リンゴの収穫を行う時期なんですけれども、 それ以外の時期は、裏方の管理ですね。
木を選定したり、肥料を巻いたり、 あるいは花が咲いた後に花を摘んだり、実を摘んだりという、 地味な仕事がずっと続きます。
忙しい時は、地域のママ友に来ていただいて、 色々とサポートはしてもらってます。 -
アヤ
なるほどですね!
ちなみに、移住されてすぐに、 リンゴを栽培するところから始めたということだったんですけれども、 リンゴを選んだ理由というか、そういったところもお伺いしていいですか? -
木下亜紀
はい、それはですね。
正直言って、私、ここに来る前は東京に住んでたんですけれども。
最初に駒ヶ根に来てですね、できた友達が、 9月、10月ぐらいの時期だったと思うんですけれども、 2週間おきぐらいに新しいリンゴを持ってきてくれたんですよ。
「これ美味しいから食べてみて」「これはなんとかっていう品種だよ」と教えてくれて。
で、それがですね。 すごくびっくりしたんですよね。
東京にいた時、リンゴっていうのはですね、 もう"りんご"としか認識してなかったんで、 スーパーにりんごを買いに行く。
で、それはなんとかという…、フジだとか、なんとかだとかっていう品種名のことなんて 考えたこともなくて。
ですので、ここに住んで、下手したら1週間単位で旬のリンゴが変わっていくんですよね。 それがね、すごくびっくりして、それがどれもこれも美味しいんですよ。 やっぱ旬なので。
それがすごく私たちにとって、やっぱりんごってこんな美味しいものだったんだ! という…ある種、ショックを受けたんですよね。
それはそれとして、思い出としての程度だったんですけれども、 いざ夫が農業をやりたいと言い出した時に、最初は野菜をやろうかと。
うちの夫福岡出身で、福岡のおじいちゃんが、 もうだいぶ前に亡くなっているんですけれども、 地域の結構有名なトマト作りの名人だったらしいんですよ。
それで、そのことが彼の中ではすごく思い出に残っていて、 いつか自分はそのおじいちゃんのようなおいしいトマトを作りたい! というふうに温めてたらしいんですね。
それで、トマトもいいね、みたいな話はしたんですけど、 いや、でもトマトって…、ちょっとなんか私の中では、旬の時に食べて、 もちろん加工もできるんですけど、もうちょっとなんかこう夢のあるものがいいなと思ったんですよね。
トマト農家の人に大変失礼で申し訳ないんですけども。
それで、りんごってなった時に、あ、そういえば、駒ヶ根のりんご美味しかったね!と。
あとりんごってジュースにもできるし、ジャムもできるし、 いろいろとお菓子にしたりもできるし、なんか保存性も良さそうだし、 なんかいろいろ考えていくと、いいんじゃないの?っていうことで、 最終的にリンゴになったんです。 -
アヤ
おぉ!そうなんですね^^
今、リンゴを育てながら、 ずっと生活されて、今落ち着いていると思うんですけど。
その収穫期、もしくはその準備期以外でも、 何か取り組まれてることってあるんですか? -
木下亜紀
あ、そうですね。
りんご以外にも、米ですとか、 野菜類は主に人参とかビーチとか、主にそのあたりですね。 あと、じゃがいもとか、根菜類をやってます。 有機栽培してます。
あとは加工品ですね。
特にりんごメインに、シードルっていうワインを作ったりとか、ジュース作ったりとか、 そんなことやったりしてます。
で、それはもう農業の方の仕事としてはそういうことやってますし、 あとは結構、プラスアルファで色々とですね、 地域の仕事があって、それで年中結構忙しくしてるって感じですね。 -
アヤ
ちなみにちょっと気になったんで、聞いていいですか?
地域のあれこれって何ですか?(笑) -
木下亜紀
私、農業委員っていう仕事をやってまして、 農業委員って多分都市部に住んでる方には馴染みのない仕事…
聞いたことありますか? -
アヤ
初めて聞きました! -
木下亜紀
農業委員っていうのはですね、全国にいるんですよ。
各市町村にいる、農地を売買したり、小さくしたりする時って、 必ず農業委員会を通さないといけないんですよね。
行政機関で、そういう仕事を各市町村でやるときに、 農業委員っていう人を任命して、 その事務をやらせてるんですけども、その活動が結構忙しいですね。
で、誰かがですね、この田んぼを潰して家を建てたいんだけども…みたいな、 よくあると思うんですけれども。
勝手に作れないわけですよね、当然ね、農地なので。管理が必要で。
その許認可をするのが農業委員会なんですよね。 -
アヤ
じゃぁもう本当に、 その地域のあれこれ…、
農業に関する、農地に関するあれこれを、 結構担って、亜紀さんがやられてるんですね。 -
木下亜紀
そうですね。
地域割りになっているので、 私の担当地区の農地に関しては、全部私が一応窓口となって、やってます。 -
アヤ
じゃあ結構その…、 周りの住民の方から相談を受けたりとかっていうのも、 やっぱり今現在はあったりとかするんですか? -
木下亜紀
そうですね。
そういうのもありますし、 あとはそのルーティーンワークとして、 全部の農地をパトロールしたりとかあるんですよね。
例えば工作されているかとか、されてないかとか。
どんなふうに管理されているか。
私、担当が900か所あるんですよね、農地が。
そこを回ったりとかですね、 それをちょっと地図に落とし込んで、色付けして、 判定をつけたりとかするんですよ。
それで、もうどうしても管理ができない農地っていうのは、 やっぱり高齢化とかの問題とともに出てきちゃっていて、 あるいはその…、鹿とか、主にこの辺だと鹿、熊はそうでもないんですけど、 鹿とかイノシシとかに荒らされてしまう農地っていうのは結構あって、 そういったところも結局農地として、 なんとか頑張って維持するのか、あるいはもう農地としてみなさないで放棄するかとかですね、 林に戻すかとか、そういうことをですね、 一個一個の農地について、 日本全国でこれをやっているという実態があります。
そのうちの一つの仕事をやっています。 -
アヤ
なるほどですね~
やはり移住してから、 数年かけて、その地域の生活スタイルに根付いていったからこそ、 地域での問題であったりとか、 その問題をどのように解決したらいいのかとかっていうふうに、 さらに活動の幅が広がるような視点っていうのが、 今まさに気づかれ始めてるっていうことになりますね。 -
木下亜紀
そうですね。
移住したばっかりの頃は、 やはり自分の仕事とか生活を、軌道に乗せるのに必死だったので、 あんまり周りのこととかまで気を使ったりする余裕はなかったんですよね。
でも今は、やっぱり地域の一員として、 農業をやらせていただいている立場なので、 やはり地域の仕事は、少しずつ担っていかなくちゃいけないという立場に なってきてます。
それは私だけじゃなく、 もちろんうちの夫の方がよっぽどいろいろあるんですけどね、やることは。
まぁ、男性だろうが女性だろうが、 やれることは分担してやっていくべきだろうなと思って、そういう仕事も私は引き受けてやってます。 -
アヤ
なるほどです。
まだまだお話聞きたいところなんですけれども、 今の亜紀さんの生活に至っていくまで、 移住のきっかけから現在の生活に至るまでのお話をお伺いしました。
貴重なお話をありがとうございます。
日常に生きるちょっと役立つ知恵、次回もお楽しみに♪