──中学生から瞑想をはじめたそうですが、きっかけはなんですか?

もともと子どものころに、瞑想と知らないまま、座って感覚をみる遊びのようなことをよくやっていたんです。幼稚園ぐらいのころです。日向ぼっこするような感覚で、正座で座って目を閉じていると、遠くに外の音が聞こえて、同時に自分の内側に暖かさとか色んな感覚があって。それを感じているのが好きで。

中学生のとき、聖徳太子が主人公の少女漫画『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』で、厩戸の王子(うまやどのおうじ=聖徳太子)が瞑想するシーンが出てきたんです。いまの法隆寺にある六角堂、という夢殿に入って。それを読んだときに、私がやっているのは瞑想なのかも!とそこで初めて思いました。

それから、瞑想って何?って親に聞いてみたり、そういう本をみたりしました。聖徳太子は瞑想状態で木と向かい合って会話するとあったので、自分にもできるのかな?とマネしてやったり。

母が、「姿勢を正してするんだよ」「呼吸をみたりするんだよ」とか「ありのままに起きていることをただ見たりするんだよ」と教えてくれて、なるほど、と家で練習するようになったのが中学生ぐらいでした。

──子ども時代から落ち着いた性格だったんでしょうか?

基本的にひとりでなにか考えていたりするのが好きでした。小さいころから、「そもそも自分、っているんだろうか」とか。

たとえば寝て夢を見ているときって、夢の中が本物だと思ってて、起きてるときもこれが現実だと思っているけどもしかしたら夢かもしれない。じゃあ、夢とこの起きているときの境目はなんだろう?って、考えて、境目を知りたいと思って、寝るときに無理やり起きてる、ということをする子どもでした。でも、いつのまにか寝てしまう。次の朝起きて、あ、境目がわかんなかった。(笑)そんなことを遊びみたいにやっていました。

ほかにも、学校に行くけど、家を出たときの自分と、学校にいる自分とが、つながっているのか?と考えたり。家から学校に行くまで、いま一歩、いま一歩、いま、いま、みたいに歩いてみたり。学校について、たしかに一歩一歩来たんだけれども、家にいる私と違う気がする、とそんなことを考えていました。

──すごく瞑想的な人ですね。

今考えるとそうですね。そういうことばかり考えていて、しかもそれを人に言ったら絶対へんに思われるとどこかでわかっていました。でもちょっと小出しにしたりする。

たとえばこの青いものを、みんな青って言うけど、私が見ている青と、Aさんが見ている青は、違うかもしれない。そういうことを友だちに言うと、「はっ?」となるから、なんでもないよ、と引っ込めたり。

みんなこの世界を同じに見ている気になっているけど、見えているものが絶対違うと思う。姉が、そういうの哲学なんじゃない?哲学書があるよ、と言っても、ちがう、答えが知りたいわけじゃない、考えるのが好きなんだ、と思っていました。

後編へつづく

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写真・文 七戸 綾子