美学を持つ
第十五夜
今夜のキーワードはなかなか手強いですね。「美学を持つ」なんて大きすぎます。かっこよすぎます。毎日バタバタしていて、前髪がへにゃっと決まらなくて、家族にやいやい言ってしまう私が、なにを書けるでしょう。
友だちに甘えて「美学ってなんだと思う? なにか美学を持ってる?」とたずねてみたところ、ない、わからない、むずかしい、と返ってきました。人に胸を張って言えるようなことなんてないよ、と。
ところが、そう言われてみると、ないこともないんじゃないか、という気がしてきました。私は友だちの生き方に美学を感じたことがある、確実にある、と思いました。
私はこどもの頃からいつもなにか書いていて、そういう恥ずかしいノートがいっぱいあるのですが、大学生になり、友人がひとり暮らしの部屋に遊びに来てくれたときも、そういうノートが本棚にあったのです。「恥ずかしいから見たらあかんで」と笑って言ったら、一言。「『ああ、こっそり見てしまったな』っていう気持ちになるのが嫌やから見ない」と。
また、別の友だちとこんなこともありました。
約束の時間の少し前に「どこにいる?」と電話がかかってきて、言われたとおりに突っ立っていたら、友人がやって来ました。今日、急に行けなくなっちゃったんだ、ごめんなさい、と。「さっきの電話で言えばいいのにー」と言うと、「そういうのはなんか電話じゃなくて会って言いたい」とのこと。
損するか得するか
楽できるか
ではなくて
そういう自分を好きでいられるか
あなたには、ありますか?
たとえば、好きな服を着ること。挨拶すること。ありがとうと言うこと。エレベーターで「開」ボタンを押して人を待つこと。一度は伝えること。潔く引くこと。誰も見ていなくても、きれいにしておくこと。いただきますと言うこと。それをしない自分より、する自分が好きだから、そうすること。かっこつけるためではなく、よりよく生きていきたくて心のなかに立てる旗。
そんなふうに考えていくと、誰でも大なり小なりの美学を持って生きている気がしてきて……人間関係に悩むことも多いけれど、やっぱり人間はおもしろくて好きだなあと私は思います。お気楽すぎるでしょうか。
今、この記事を読むことだって、ヨギーに通うことだって、なぜ? なぜ? なぜ? と3回ぐらい繰り返し自問してみたら、きっと何か自分のためにいいことをしようという気持ちに辿り着きます。尊敬する人、憧れる人、好きな人がいたら、きっとその人のなかに「美しい生き方」のかけらがみつかります。
たとえ美学と美学はすれ違っても
みんなよく生きようとしている
ということを信じてみたい、と思います。
みんなよく生きようとしている
と思えない日は
私はよく生きようとしている
と自分で自分を信じてあげたい、と思います。
その先生は、あるとき生徒さんたちに「なぜヨガを始めようと思ったのか?」というアンケートをとったそうです。さまざまな答えを要約していくと、次の2つしかないことに気がつきました。
・幸せになりたい
・自分を知りたい
どの答えもその2つのどちらかに入るんだよ、と話してくれました。どうでしょう。あてはまるでしょうか。
幸せは目的地、自分は現在地。
だとしたら、ルートは「美しい生き方」で
どんなルートで行くのも自由だから
いちばん好きな道で、いい旅を。
ではまた、第十六夜「楽しくまじめに」でおしゃべりしましょう。たくさん好きなことをして“美しい”夏になりますように。
古金谷あゆみ がガイドをつとめる「書く瞑想」クラス情報
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書く瞑想「わたしにかえる時間」満月編
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イラスト 内田 松里/文 古金谷 あゆみ