数年前、art of living magazineというのをヨギーで発行していました。いまのヨギー・マガジンの前身となるウェブマガジンと冊子でした。生きることは、そのひとそれぞれにとってアート(固有のもの、クリエイティブが生きるもの)というようなコンセプトで、自分らしさとは、外に基準があるのではなく、自分自身の魂が震える体験にあるような、内側に存在するもの、というのを様々な角度から紐解くメディアでした。

そのころ、東工大(東京工業大学)でリベラルアーツ(教養)の大切さを訴えていて、なにかつながるものがあると感じました。いわゆる理系の大学で、まさに社会に出たら即役立ちそうな科目、数学、物理学、化学、建築学、生命理工学、情報工学などが学部の科目に並んでいます。2016年度に東工大は、学部と大学院を統合して「学院」とする改革をした節目だったようです。そのような実践的な学問に加えて、なぜリベラルアーツ(教養)を重視するようになったのか。

そのとき目にした記事の記憶ですが、実践的な知識やスキルは、日々進化しているので習った時点ですぐ古びてしまうが、教養は普遍的で、考え方や判断力、応用力となるので、すぐに実用的ではないにしても長年にわたって全てにおいて役に立つものだ、というようなことでした。

東工大で2019年に現代史の特任教授を務めた池上さんの記事にも、こうあります。
ーーリベラルアーツ研究教育院が設立する直前、私は上田先生や伊藤亜紗先生と欧米のトップ大学を視察しました。衝撃を受けたのは、世界の理工系の総本山であるマサチューセッツ工科大学(MIT)における教育のあり方です。なんと学部4年間で「最先端科学は教えない」というのです。理由は「科学や技術は先端的であればあるほど陳腐化するのも早いから」。ならば、まず知性の血肉となる各方面の教養を身につけさせるのがMITの教育方針であり、音楽教育などにも力を入れていました。すぐに役立つ知識よりもすぐには役に立たない教養こそが、長い目で見ると役に立つ──まさしくリベラルアーツの本質を衝いた発想だと感心しました。ーー

今なぜ東工大生に教養が求められるのか 池上彰のリベラルアーツ教育のススメ

【現代史】池上 彰 特命教授 より※1


では、リベラルアーツとはなにか。現在は東工大リベラルアーツ研究教育院の院長を退任されている、上田紀行先生の言葉より、以下抜粋します。

ーーリベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。

現代社会は一見自由に見えます。しかし多くの人たちが生きづらさ、不自由さを感じているのはなぜでしょうか。いま私たちが直面しているのは、評価をたいへん気にして、「正解」を求めていないと不安だという意識です。ですから多くの人たちが「評価されること」にがんじがらめになっています。しかしそれが本当に自由な生き方でしょうか。

「評価される正解」にがんじがらめになっている人は実はとても不自由で、そして結局のところ新しいものを創り出す創造性を欠く人になってしまいます。それでは自分も楽しくないし、社会に貢献することもできません。
 リベラルアーツとは自分を多様な世界へと解き放ち、より良い自分、より良い世界へと導く入口となります。ーー

FROMPAGE リベラルアーツについて知る より※2


具体的に科目で言うと、各大学によって多少特色が異なりますが

東工大では、文系教養科目:人文学(哲学、文学、文化人類学、芸術等)・社会科学(法学、政治学、社会学、心理学等)及び、文理融合科目(科学技術論、統計学、意思決定論等)。

桜美林大学では、外国語、文学、哲学、倫理、宗教、心理、教育、政治、経済、社会、歴史、国際関係、コミュニケーション、数学、物理、地学、生物、化学、情報、環境、メディア。

ICU(国際基督教大学)では、間のあり方や表象を扱う「人文科学系列」、社会システムや文化や歴史を扱う「社会科学系列」、数理的な考えや科学を扱う「自然科学系列」はそれぞれの特徴があります。この3系列を履修することで、さらに学際的な視点を得ることができます。

とあります。


いずれも、多角的にものごとを考える力を身に着ける教養ということがわかります。


わたしたちはとかくすぐに簡単に「正解」を求めがちです。楽がしたいのです。一般的にはこれが普通だから、世の中的には常識だから、と。あるいは考えることすらやめていることもあるかもしれません。普通とはなにか。当たり前は本当に当たり前なのか。ふと日常で感じる違和感の元を探ってみたり、自分が感じていることの意味を知ったり、その自分自身で考える”粘り”を助けてくれるのが、哲学なのでは、と思います。


ビジネスのトレンドとしても、美意識というかたちで論理思考アプローチを鍛えている傾向があるようです。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』(山口周著)より※3、以下抜粋します。

ーーこれまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意志決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないーー

ーー全体を直感的にとらえる感性と、「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や想像力が、求められるーー

ーー欧州のエリート養成校では、特に「哲学」に代表される「美意識の育成」が重んじられてきたという経緯があります。(中略)エリートには大きな権力が与えられます。哲学を学ぶ機会を与えずにエリートを育成することはできない。それは、「危険である」というのが特に欧州における考え方なのです。ーー


さまざまな場面で変化のスピードが激しい今、ひとつのよりどころとして哲学に親しんでみませんか。

※1 今なぜ東工大生に教養が求められるのか
池上彰のリベラルアーツ教育のススメ 【現代史】池上 彰 特命教授

※2 FROMPAGE リベラルアーツについて知る
創造性を身につけて 本当に自由な生き方をするために
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院長 教授 上田 紀行 先生

※3 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』(山口周著)

文・七戸 綾子