「空気を読む」「察する」というけれど、まずは自分で伝える・表現するというのが大人なのでは?
vol.18
よく、「空気を読む」とか、「察する」というふうに、はっきり言ったりせずに、相手に解釈させる、または読み取るのがよしとされていますが、まずは、自分自身で伝える・表現する、というのは大人のたしなみのような気がしています。ヤスシさんはどう思いますか?
答えのヒント:
「空気を読む」「読んでもらう」「察する」「察してもらう」・・・
すべてを明らかにはせず、相手の想像力に任せる・・・は日本の文化の特徴でしょうか?
それは美しくもあり、遠回りで時には不便でもあります。短い十七音に情景・情報や心のひだを表現する俳句の影響なのでしょうか。全てを言わずに多くを語る。なるほど美しい!でも難しい。日常でもビジネスシーンでも、また日本に限らず欧米でも相手の気持ちを読む心遣いは必要だと思います。
直接顔を合わせての情報や考えの表現に関しては、メールよりも受け取る情報はあるかもしれませんが、それでも誤解を生じる場面はありますね。
ニューヨークで暮らしている頃は、<自分を明確に表現しないことが原因で誤解を招くのは自分に責任があり、よって相手だけを責められない・・・>というのを日常の生活から学びました。僕にとっても決して得意な分野とは言えません。
自分の考えやスタンスを明確にしない(できない)のに、「心で思った通りに物事が進まなかった」、「自分の意見が反映されない」または「気持ちを裏切られた」・・・などと苦い思いを訴えるのは・・・厳しい言い方をすれば「被害妄想」に近いのです。
「相手に察して欲しい」と思うのなら、「察してもらえない」ケースがあることも覚悟するべきでしょう。立場や状況、また内容の繊細さによっては自分の意見をそのまま表現することが難しい時もあるでしょう。どんな場合でもコミュニケーションの到達点は自分にも責任があるのです。
質問の後半に書かれているように、自分の考えを自分から伝える・表現するというのは、まさに大人としての責任ある行動です。同時に故意に相手を傷つけないのが大前提です。
遠慮が無い相手でも、相手の気持ちを考えずに自分の考えや思ったことを口にして許されるのは何歳位まででしょうか?
また大人の中には相手が不明確であることを逆手にとって、自分が有利になるよう物事を進める人もいませんか?
自分を表現することは自分を守ることでもあるのです。
皆さん同様、僕自身も相手を傷つけずに、自分の考えや気持ちをできるかぎり明確に伝えられるスキルを身につけたいと願います。大人としての礼節と思いやりを持ち、同時に自分をも敬う言動を心掛けたいですね。
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文 ヨガインストラクター ヤスシ/編集 七戸 綾子