2004年11月、東京。

その日、ニューヨークからやって来た一人の日本人男性がスタジオ・ヨギーの六本木オフィスを訪れました。彼の名は、田中康資。いえ、Yasushi Tanaka。ダンスを学ぶために渡米して以来ニューヨークに暮らして18年目、ダンサーとしてではなく、ヨガインストラクターとしての来日でした。

当時、ニューヨークのヨガ界でヤスシさんの名を知らない人は……それはそれはたくさんいました。ダンサーとしてブロードウェイの舞台を踏んだこともあるヤスシさんでしたが、ヨガの先生としては無名。

いくつかの指導資格を取得していたものの、トレーニングに参加する度に自分の未熟さを思い知らされていましたし、その年の初めにはまだヨガ一本で生計を立てていくか、生活の一部にとどめておくのかという選択にさえ迷っていました。

それぐらいニューヨークにはヨガの先生がたくさんいたのです。日本より先にブームを迎えていたニューヨークでは、生活のために二足の草鞋を履いている人がほとんどでした。ヤスシさんもその一人。

ですから、日本でティーチャートレーニングを担当してほしいという話を聞いたとき、ヤスシさんが自分には荷が重すぎると思ったのも無理はありません。初めはワークショップのオファーだったはずなのに、一体いつの間にそんなに話が大きくなったのでしょう。

「どうでしょう。お願いできますか」
目の前では、スタジオ・ヨギー創業者の佐和子さんたちがヤスシさんの返事を待っています。もし失敗してニューヨークに帰っても、もう一度ヨガのクラスをもてるかどうかはわかりません。大好きな街で大事に積み重ねてきたものを手放さなくてはできない仕事です。

ああ、あれみたいだ、とヤスシさんは思いました。3万フィート上空の飛行機の中で「お医者さんはいませんか?」と問われたら、映画を観たくても機内食を食べたくても、そこで自分ができることをする。今、ヤスシさんは「ニューヨークスタイルのヨガを日本語で伝えられる人はいませんか?」と問われているのです。

何か大きなものから自分の人生そのものを問われているようでした。この人を信じよう、ヤスシさんはそう決めました。

「あなただから、僕はこの仕事をしますよ」
「ヤスシさんのことは私が守りますから」

佐和子さんは、まるでプロポーズでもするように答えました。守るという意味がヤスシさんには痛いほどよくわかります。自分の好きなことだけをして生きてきたヤスシさんにとって、もしビジネスのために信念を曲げるようなことになれば、それは嘘の人生になるのです。佐和子さんにしてもそれは同じでした。

ヤスシさんと佐和子さんがお互いに「戦友」と呼び合う同志になったのは、もしかしたらこの日が始まりだったのかもしれません。初めてニューヨークのスターバックスで会った蒸し暑い六月から、まだ半年も経っていませんでした。

・・・・・・・

|スタジオ・ヨギー15周年! 11月4日の「ヨギーYOGA DAY」で、ヤスシ先生に会おう!

ヤスシ先生のポーズにまつわる楽しいエピソードを交え、15ポーズを練習します!
『ヤスシと15のわくわくポーズたち』

ヤスシ先生にリアルにお悩み相談
『「Art of living 豊かに生きるスキル」特別編 ヤスシの部屋』

2019年11月4日(祝日) ヨギーYOGA DAY
場所:スタジオ・ヨギーTOKYOにて


|スタジオ・ヨギー、ヨギー・インスティテュートのプログラム
ヤスシ先生とヨガを探求しよう!
【yoggy institute lab】ヤスシのハタヨガ研究室

文 古金谷 あゆみ/「スタジオ・ヨギーのある生活」vol.12より