ずっと反抗期だった

――舞台に立って、何年目にトップになったんでしょうか?
ヨウコ 15年ですね。大地真央さんや、天海祐希さんなどは、かなり早くにトップになっていました。その組のサイクルもありますし。人それぞれです。私は遅かったので、年も年ですから、2年半務めて卒業しました。母親が、「結婚しなさい」と言い続けていたので、これぐらいは言うこときかなきゃな、と思い、結婚を先に決めて、退団を決意しました。トップをやめるタイミングは自分で決めるんです。ただ、男役でしたから「花嫁になる」ことは退団した翌日までシークレットにしていました。

――ニューヨークにダンスで行こうと思ったのをやめたり、結婚するなど、親御さんの言うことをきちんと聞くので、反抗期はなかったんでしょうか?
ヨウコ ずっと反抗期ですよ。いつも衝突。中学高校と、ロックバンドを友だちと組んでいましたが、なかなか許してくれず、色々厳しい家でした。でも、だから、好き勝手やっても、超えてはいけないラインが分かって、ちゃんと戻るんだなというのが自分でもわかります。軸がぶれないというか。それはすごく人間として大切なところだと思うので。親の教育が絶対とは思いませんけれども、感謝しています。
母が言い続けたからこそ結婚もしましたし、子どもを授かり育てることでかなり自分の幅も広がりました。人の親となって初めて親の有り難味もわかりました。そういう気づきというのが、必然としてあったのだと思います。

――いざ、宝塚で上り詰めるところまで行きましたよね。親御さんは変わりました?
ヨウコ 父は残念ながら舞台を見ないうちに他界しました。「大きな組織の下で安心せず、小さい組織でいいからトップを目指せ」みたいなことを、いつも父親に言われていました。予科生のときに、委員や、鼓笛隊の指揮者をし、コーラスでも指揮をし全国大会で受賞したこともあります。それをこっそり父親は見に来ていたらしいんです。だから、小さなことですが、センターに立っている姿というのは、どこかで見ていたので、まあ少しは認めてくれたのかな、というところはありますね。そして、母はいつも、「無理しないでやめちゃいなさい」と言いながら、ひたすらサポートをし続けてくれています。

答えはやった分だけが返ってくる

――いま、インストラクターでおもしろいと思っていることはなんですか?
ヨウコ 私、認定試験に何回か受からなかったんですよ。マンツーマンで教える仕事はしていたけれど、インストラクターとしての仕事をしていないので、その立場、やり方を理解するのに時間がかかりました。1から勉強する覚悟は出来ていましたから、不合格の時はショックでしたが、新しい世界に挑戦している自分を楽しむことにしました。パフォーマンスという手段でなく、人に伝えるということが感覚的になかなか難しかったです。ビューティ・ペルヴィスは伝えたいことがいっぱいあるので、その言葉選び等をすごく勉強しましたね。

これは、カラダに特別な疾患が無ければ、老若男女問わずできるところと自力調整出来ることが魅力です。母も歩行困難になりかかっていたので、そのケアにも役立ちました。1年間だけヨギーの仕事で老人ホームでクラスを持たせて頂いたことも良い経験となり、この先、年配の方の生活のサポートになるようなこともできたらいいな、と思っています。

――ヨウコさんが大事にしている好きなことばはありますか?
ヨウコ カトリックの学校だったんですが、すごく優秀な同級生が宝塚行くときに、「人事を尽くして天命を待つ」とマリア様のカードに書いてくれたんです。すごい達筆で。それは今でもその言葉と共に大切な宝物です。何事も、やっただけのことしか返ってこない、答えはやった分だけ、と思っています。物足りないな、と思ったらもっとやっぱりやらないといけないと。でも、年を重ねてやっと自分に対して素直にがんばったね、て言えるようになりましたね。自分でもよしよしができるようになりました。(笑)

――ずっとご自身に厳しかったんですか?
ヨウコ 自分にも他人にも厳しかったですね。私のいる世界は、点数があるようでない。これでいい、という、どこで線を引いたらいいかは本人の満足度なんです。昔は、ダメだ!もっとやらなきゃって自分を追いつめていました。でも今は、いいねいいね、って思ってあげるほうが上にあがれるなという感じがしています。ダメだダメだ、もっともっと行かなきゃ行かなきゃと思うと意外と下に向かっているんじゃないかなと感じたことがあって。溺れていくイメージ。上に上がっているつもりがどんどん沈んでいくような感覚をビジョンで感じてしまったことがあります。いつも沈みそうな水面にいるけれど、浮き上がった時に「あ〜きれい」と、その景色を見て、また沈み、そしてまた上がってみた景色を「きれい」と思える楽しさ、というのがわかるようになりました。

――その心境になったのはいつごろですか?
ヨウコ それは、退団してからですね。いるときも今を大切にしようと思っていたんですけど、それでもやっぱりちょっとなにかいつも物足りないと、欲張りに思ってたんです。でも、結婚して、けっこう順風満帆だな〜と思えるようになったときに、流産し、人生で初めて深く落ち込みました。好き勝手やってきてどうにかなってきたものが、どうにもならないことに初めて向き合ったというか。そこから這い上がるのには時間がかかったので、その時に変化したのかもしれません。もっともっと、と上ばかり、先のことばかり見つめていると、身近な幸せ、足元もみえなくなってしまう。小さなことにも感動できて、小さな幸せもきちんと噛みしめる感覚を大切にしていけば、どんどんどんどん、あ、なんだこんなにいいことがあった、と、ハッピーなものに囲まれていく感じがして・・・そこからすごくラクになりました。

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写真・文 Art of living magazine 編集部