暗闇に、ぬわっと艶めいた光を放つもの。なんともふしぎな発光。この生きものってなんだろう? と訊ねようとした矢先、夜の森をあるくとおもしろいものに出会うんだよと彼がはなしをきりだした。

―その日は月あかりのない闇夜だったけれど、勝手知ったる場所だからとテントをでて、ヘッドランプを消してみたんだ。ヘッドランプをつけていると、その強い人工光しかみえなくなってしまうからね。そうして灯りをもたず、星空に浮かびあがる樹々のシルエットがつくる世界をみながら、ふわふわ浮遊するようにあるいていた。そうしたところ、ものの数分で迷ってしまった。シルエットだけの暗闇というのは、遠近感を失ってしまうのだ。

近くにテントがあるのはわかっているのに、もう戻れそういない。まあいいや、ここで朝まで過ごそうと思いながら、ふと足もとをみると、ふしぎな緑の色をしたものが強烈な光を放っていた。ツキヨダケの切れっぱし。こいつらほんとうに光るんだ、ひょっとしてって、すぐそばの樹をみあげ、途端大声をだしてしまった―


 いつもは違う時を生きるものと出会い、たおやかにつながる時間は愛おしいものだったという彼。そう、はなしはキノコの種類うんぬんに流れない。キノコが光るのはたしかにすごい驚きだけれど、この瞬間キノコが光る理由に頭を使うよりも、みえないものへ意識をずらしてみるほうがうんと豊かなことだと。

 なにより闇があってこその光。人は闇を苦手なものとする。だからこそ闇に身をおけば、しぜんと感性のアンテナが「発見」を鋭敏にすくい、五感を養う時を授けてくれるのだ。

 森に入らずとも、ちいさな闇はある。家々のはざまに、庭のすみに道ばたに。いつもは遠ざけている身近な闇に心をそわせ目をこらしてみれば、自分にしかみえない何かを発見しそう。さあ、闇をさがしてみよう。

写真:白神山地 写真 細川 剛  / 文 おおいしれいこ