想いを持って、働くということ vol.2
つむぎや 友廣裕一さん
創る人も幸せになる、プロダクト
東日本大震災後、宮城県石巻市牡鹿半島で男性漁師のサポートをしていた女性たちに各々の役割としての仕事をつくること、住民同士の交流機会創出によるコミュニティづくり(再生)を目指したOCICAづくりをはじめた。地元にある素材、鹿の角と、漁網の補修糸でつくられるドリームキャッチャー模様のネックレスとピアス。そもそもなにをつくるか、というアイディアから、素材探し、素材提供、加工、工具、制作場所、売れるデザイン、販売にいたるまで、様々な出会いを経て、最盛期には12人のお母さんたちがOCICAづくりをおこない、作業所には累計1000人を超える人々が日本全国、世界から訪れ、のべ100ヶ所以上で販売される、という事業へと発展した。
OCICAを運営するつむぎや自体も、もともと4人ではじめて、いまも4人いるが、人は入れ替わっていった。立ち上げ時のメンバーのうち二人は、大学を卒業して就職や大学院入学までの間のインターンとして働いていた。組織のスタイルにも柔軟性がある。
「もともと必要に応じて法人を立ち上げているので、僕らが食っていくための事業をやる、っていうのは、本末転倒だと思った。必要なことのために、チーム結成したので、必要がなくなれば、解散するのが本来のかたちかな、とも思っていた。」と話す友廣さん。
お母さんたちに依存するような関係は、あんまり健全じゃないと思ったという。「お母さんたちが牡蠣の養殖に戻りたいと言ったときに、『ぼくらの収入はどうするんですか!明日から食えないじゃないですか』って言うのは不健全じゃないですか。震災支援ではそういうことも起こりうると思いました。支援のために入ってきているはずなのに、移住してそれを本業にしてしまったら、気がついたら依存関係になって、変化を促せなくなる、ということが起こりうるなと。」
つむぎやでは、東北以外の事業もやっているし、今は全員が兼業で働いている。だからこそ、立ち上げた事業に依存せず、地域の人たちが変わろうとしたときに、素直に対応できたという。
作る人も、幸せにならないと社会は幸せにならない
お母さんたちの笑顔を最大化させることが、僕らにとっての成功の指標
「そうだ、僕らはお母さんたちのための解決策としてこの事業を立ち上げているんで、事業を膨らますことが僕らの成功の指標じゃない。お母さんたちの笑顔を最大化させるということが、僕らにとっての成功の指標なんだな、と思ったんです。成功の指標が、資本主義の枠組みの中だと、どうしてもわかりやすい、売上とか、数値化される世界になっちゃうんです。そういう違和感はすごくありましたね。」
規模を大きくしていこうとすると、工場みたいにして俗人性を排さないとリスクになってしまう。だれでもできるように作業を細分化して、誰かが病気で休んだ場合にも、他の人で代替がきいてしまう。資本主義のビジネスでは、それが当たり前の正しさになっている。
「僕らは、できるだけ俗人性を大事にしました。○○さんじゃないとこれは作れない、というところを。だからお母さんたちも自分の存在意義を確認できるし、つくれている実感や、必要性を感じてもらえたと思うんです。極力、人を無力化する仕組みにはしない、というのを大事にしてきました。」
「なにもできないなりに、でも自分に求められる余白みたいなものがある、それを育てていくことで、仕事や、生業になっていくかもしれない」と予感したそうだ。他の地域でもそんなふうに、自分は役割をみつけられるか知りたい、どんな人がどんなふうに暮らし、働いているのか、を知るため、半年間かけて日本各地をまわった。いま、そこでの経験と出会いが次々と友廣さんに新しい仕事を生み出している。
写真・文 七戸 綾子