ヨガで象徴的なシンボル “蓮”について
今回、蓮について、関西で活躍するヨガインストラクターのアツコ先生が教えてくれました。
蓮の花は、清らかさや聖性の象徴?
ヨガの象徴的なシンボルでもある蓮は古くから存在する植物で、たくさんの伝承が残されています。中国の成句でも「蓮は泥より出でて泥に染まらず」との表現があるように、蓮の葉の持つ超撥水性により、蓮は泥の中で成長しながらも、その花は決して泥に汚染されることがありません。その為、蓮の花(蓮華)は、古代インドの聖典などで清らかさや聖性の象徴として称えられます。蓮がヨガの象徴的な存在になっている所以です。
ヨガでは神聖さを表す、蓮
ヨガの伝統的な教えが語られる叙事詩『バガヴァッド・ギーター』にも神聖さを表す言葉として登場します。5章では「執着心を捨てて自らの義務を遂行し、その結果を至高者(ブラフマン)に献ずる人は、蓮の葉が水に濡れることがないように、いかなる罪悪にも染まり汚されることはない」(10節)とその質が描かれ、11章では、「蓮のような眼をもっておられる御方(クリシュナ)よ」(2節)、「蓮華の上に坐すブラフマー」(15節)といった表現で神聖な存在を讃えています。(日本ヴェーダンタ協会『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』より引用)
インドの神様の絵姿にも蓮の花は多く描かれています。美と豊潤の女神ラクシュミーは赤い蓮の花を手にし、芸術や叡智の女神サラスワティは白い蓮の花に座している姿が有名です。また、ヴィシュヌ神のおへそから、蓮の花が伸び、そこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマー神の額からシヴァ神が生まれたとされる神話もあります。
蓮華座と呼ばれる座法(パドマ・アーサナ)は、B.K.S.アイアンガー先生がその著書『ヨガ呼吸・瞑想百科』の中で「この座法はプラーナーヤーマや瞑想の実践には最適である」と書かれています。実際にはなかなか難易度の高いポーズなので、日々の練習で少しずつ深めたいところです。
また、パドマ・ムドラーと呼ばれる指の組み方があります。胸の前で合掌し、手の真ん中をふくらませ、人差し指、中指、薬指の三本の指を離す。蓮の花の咲きはじめを表す形です。大切にしたいもの、神聖なものを包み込むイメージだったり、女神様にあやかって開花したい気持ちを託したりします。心の清浄さや豊かさが育まれます。
慌ただしく複雑な現代社会に生きる私たちですが、泥中の蓮のようにどんな時も清くありたいものです。
蓮と思っていたのは睡蓮? につづく
文 ヨガインストラクター アツコ/編集 七戸 綾子