「オーム」「蓮」「108」…ヨガにはさまざまな象徴が存在し、そのパワフルさを自分にも取り入れたいと、それらの象徴を身近に置いたりする方も多いのではないでしょうか。

果たして、ヨガでもっともパワフルなものはなんでしょう? ヨガインストラクターのカオ先生に聞いてみました。

それは、「私」と言う存在の認識です。

ヨガでは私たちの本質は幸せそのものだと言います。

私たちすべての命の根源に存在する穏やかで純粋な意識、その意識状態と繋がりながら日常をより幸せに過ごせるということが、ライフスタイルをヨガにしていくことにつながります。

小さな受精卵から細胞分裂を繰り返し、命が育っていく。受精してからヒトの形をとるまでに胎児は、生命進化の過程をたどると言われています。その過程には一定の時間が必要で自らの力で成長します。

誰かが教えなくても、子どもの体は自らのペースで成長するし、季節は秩序正しく巡り、時季が来れば花は咲き、惑星は軌道通りに運行する。

これはいったい誰が、何が支えてくれている現象なのでしょうか?

それは「私たちの命を含む、この世の全ての顕れを調和と秩序を保ちながら育む自然の摂理、宇宙に存在する意識」であると定義しています。そしてその本質は私たちの命の源でもあると言います。

五感、感情、考えの移り変わり、体がある、自覚している。私たちは常に心や体の変化に気づいている。

なぜ気づいているかと言えば、私たちには「意識」があるから。その意識は私たちの本質。幸福を体験するために体や心がある。その体や心をどう扱っていくかは自分次第

ヨガは目的でなく手段にすぎない。その手段を使って自分をどうしていきたいかが大切。
ヨガをしているのが大切なのではなく、ヨガと言う手段を通してどうなりたいかが大切。


自分に起こる物事をどのように意味付けするかというのは、私たちの意識ひとつでできることです。それであれば、より自分を励まし前向きな捉え方をしたいと思えるようになりました。もちろん、まだまだ道半ばですから、色々な感情に悩まされる事はありますが、 そうしている自分を見守るもうひとりの自分の視点があるということは、大きなサポートになります。

私たちの周りには、すべての存在から学びを得られる機会に溢れています。この世界の秩序と智慧の輝きを、いつも心を開いて受け取りたいと願っています。

フランスの哲学者アランの『幸福論』という本に「悲観は気分に属するけれども、楽観は意志である」という言葉があります。

時に私たちを取り巻く現状は悲観材料がたくさんあるかも知れない。だけどそれを悲観するのは気分であり、自らの意思の力をもってその先を楽観し、その先に楽観できる未来があるかどうかは、自分がどうするかにかかっているのだと思います。

自分が自分の人生のキーを握ること。主体的に生きること。自分の人生は自らが主役であり主体的に生きること。

時にチャレンジを恐れてしまうこともありますが、不安や未知を好奇心に変換して前に進んでいきたいとより思うようになりました。

それをいつも身近で思い出せるヨガは、とてもパワフルであると思います。

文 ヨガインストラクター カオ/編集 七戸 綾子