リシケシでヨガを学ぶうちに、そこでの暮らしや人々に魅了され、ギフト・エコノミー型チャリティショップをひらくことを決めた、高瀬由希子さん。再就職が決まっていたのに、思い切った方向転換をしたそのわけとは?お話しを聞いてみました。

1. ヨガをはじめたきっかけは何ですか?

ヨーガという言葉を知る随分前の10代の頃、何回か谷中のお寺に座禅をしに行ったことがありました。その頃は、座っていて思考が無になるという感覚は解らなくて、庭の匂いを嗅ぎながらただボーっとして座っているだけだったのですが、今思うとその体験をその20年後くらいのヨーガや瞑想を日常的に始めた時期に思い出すことが多かったです。もともと、好きな世界観だったのだと思います。

1995年から2006年までは少し日本を離れていましたが、アーサナの練習が日常になったのは、2006年に帰国した頃からです。 東京では帰国直後から当時憧れていた職場でのフルタイムでの勤務が始まったのですが、憧れていた仕事だったとはいえ平日はずっと息が詰まるような感覚があって、当時週末にたまたま通りかかった所にあったアイアンガーヨガのスタジオに土日だけ通うようになりました。

そこでの練習の日々はとても楽しかったです。でも、通い始めて間もなく、スタジオが閉鎖になってしまい、代わりに通えるところを探し始めました。1年くらいは、都内の色々なスタジオ、スポーツクラブ、ホットヨガや溶岩ヨガなど、色々体験入会していました。

そんな時期にスタジオ・ヨギーにも通いはじめました。当時は仕事が忙しかったので、職場からも自宅からも通いやすい所、自転車通勤だったので道のりの上にあるようなスタジオが助かる、と思っていました。1か月定額のロハスメンバーになれば複数のスタジオに自由に通えるスタジオ・ヨギーが便利と思ったのが、ヨギーに通い始めた理由でした。

2.スタジオ・ヨギーにも通っていたんですね?

都内のスタジオ・ヨギーには結構まんべんなく通いました。 昨年できた麻布十番と五反田が自宅からは本当は1番近くて便利なのですが、特に昨年からはインドに居ることが多くあまり最寄りのスタジオには通えていません…。 日比谷や銀座、新宿にある2つのスタジオ、中目黒や渋谷、神楽坂、に今まで多く通っています。

初めてヨギーに入会したのは確か2009年で、確か六本木スタジオで入会手続きをしました。はじめの何年かは日本に居ない時期など一旦退会して再入会、を数回繰り返しました。 今改めて確認したら、2011年からでも3000回以上クラスに出ていますね。

色々な先生方のクラスに出ているので、特定の先生のお名前を挙げるのは少し難しいです。多分、回数のみで数えたら2009年の入会当時から通っているヒスク先生、リー先生、キミ先生、ミサト先生、ミカ先生、トモコ先生、ヒロ先生、ケイコ先生、タダヒコ先生などのクラスが多いのかもしれません。

元々日本でのヨガはアイアンガーヨガから始めたという事もあり、ヒスク先生のアーサナのクラスは毎回、とても勉強になります。

リー先生には、今回のプロジェクト(ギフトエコノミー型チャリティショップ)を決める時にもとても大切な言葉をいただいており、この道に踏み出すにあたっての恩人のように感じています。

キミ先生もこの計画の話をクラスの後にした時にはお忙しいのにしっかりと話し聞いてくださって応援までしてくださり本当に有り難く思っています。

また、ミカ先生がプライベートでなさっている確か全額寄付のチャリティヨーガも、震災後私も何度も参加させてもらっています。

他にも、多くの先生方との会話やご活動からもヨガの勉強をさせていただいています。

3.ベジタリアンになったきっかけは?

自分の意思でベジタリアンになったのは10代後半からですが、子供の頃からお肉は苦手でした。小学校に上がるまでの小さな頃は食肉から感じる動物の匂いがどうしてもダメでほとんど食べずにいられましたが、小学校に上がってからは給食で苦労しました。当時の栄養学では「好き嫌いせずに何でも食べること」が正義、正解でしたから。お肉を食べる練習、とかしていました…。

また、小学校では「一寸の虫にも五分の魂」という諺を習った時、担任の先生に、何で五分(半分)なんですか?!一寸の虫にも十分の魂、だと思います!と泣きながら抗議して先生を困惑させた謎の思い出もありました。昔から動物よりも人間の方が優先されるような考え方には疑問を抱いていました。

10代後半の時、ベジタリアン生活を始めたのは一人暮らしをして完全に食事が自由になることからでした。 当時よく買い物に通っていたオーガニック食品店で既に何年も菜食主義な人々と偶然知り合うことが多く、皆さんのお話を伺ったり実際の皆さんのお元気そうな様子から、お肉は完全にやめても大丈夫そうだと確信しました。

実際、私がベジタリアンになって26、27年経っていますが、大きな病気もしたことはないですし、献血をした回数も240回を超えても1度も血液の濃さで引っかかったことはありません。動物達の為にも環境の為にも、 動物の肉を食べなくては健康ではいられないという思い込みが世の中から無くなるといいなあ・・・と願っています。

4.リシケシでヨガのトレーニングを選んだ理由は何でしょう? また、リシケシの魅力を教えてください。

ヨガのヤマ、ニヤマをアーサナの前に学びたかったこと。 非暴力を理由としたベジタリアンの先生の元でではないと学べないことがあること。 自己啓発色やファッション色のついた欧米系ヨガには興味がないこと、などです。 あとは、大好きなガンジス河のもとで学びたかったこと、です。

初めてインドに訪れた時も、あまりにも違和感なく、全てにおいて心地良いと感じていました。なかでもリシケシは、村全体が菜食を保っていることからベジタリアン天国とも呼ばれ、長年のベジタリアンである私にとっても天国のようなところです。村中がベジタリアン仕様なので、外食時に何でも食べられます。

動物達と完全に共存していることも魅力です。生活の中に牛たちが居て、野ブタ達や猿たちやリス達や犬たち鳥たちがいつも周りに普通に暮らしてくれていて、とても幸せを感じます。食べ物や住む所もシェアし合っています。 あとは、美しいガンジス河です!

5.リシケシでのヨガの学びで印象的だったことは何ですか? どんな生活を送っていましたか?

太陽礼拝を大切にしているので、太陽に背を向けては行わない。また、マントラ無しの太陽礼拝は意味が無い、と教えられました。以来、日本のヨガスタジオで太陽礼拝が入る時は小声か心の中でスーリヤ・ナマスカーラの12のマントラと共に行うようにしています。

また、私も含めてヨガの学校には外国人が多いので、色々な国でヨガが広まっている事を改めて感じました。 そして、やはり日本も含めた多くの国でのヨガトレンドはエクササイズ的なものなので、アーサナよりも浄化や瞑想、座学の方が多いリシケシでのTTC生活の中で気付く点は皆さん共通で、面白かったです。

毎日、朝5:30から6:00頃まで浄化と簡単なメディテーション、6:00頃から2時間半くらいアーサナ(ハタヨガ)、プラーナヤーマ。朝食を挟んで9:00頃から13:00頃までヨガ・スートラの勉強。昼食を挟んで、ヨガ哲学と身体のアナトミーのクラス。小一時間の休憩を挟んで夕方からは2時間ほどアーサナ(アシュタンガ・ヴィンヤサ かアイアンガーヨガ)、夕暮れ時は2時間ほど瞑想。その後19:00頃に夕食、自習、22:00消灯、という毎日でした。日曜日だけは午後から自由時間でした。毎日とても楽しかったです。

6.リシケシで3ヶ月間毎日、 たった1人でゴミ拾いのボランティアをしていたそうですが、始めようと思ったきっかけは何ですか?

去年夏から初秋にかけて、「今自分は本当は一体何がしたいんだろう」と人生に迷っていました。そんなとき、ある日瞑想をした後にふと、私はリシケシのゴミを拾いたい!と思ったからです。

2018年夏〜秋のリシケシに滞在中、お世話になったリシケシの村に何か恩返しがしたいという気持ちで、1人で道のゴミ拾いを3ヶ月ほど毎日続けました。それがきっかけとなり、地元でいろいろな奉仕活動や慈善活動をしている人たちと知り合いました。

そして、手弁当で地道に活動を続けている、リシケシ地元の慈善活動グループへのドネーション源となるチャリティ・ショップ兼カフェを開きたいと思うに至りました。それにより、各グループの活動も定期的に支えられ、コミュニティカフェとすることで、リシケシを訪れる観光客やヨガ練習生の方々にも地元の慈善活動の内容を知ってもらえたら嬉しいことと思っています。

7.再就職が決まっていたのをやめて、ギフト・エコノミー型チャリティショップをやろうと思ったのはなぜですか?

去年夏に一度フルタイムの仕事を辞めてインドへ来たのに、再度都会で以前と同じようなフルタイム勤務、ということにいくら頑張っても魅力を見つけられなかったのがひとつの要因でした。正直、40代半ばで久しぶりに正社員のオファーを頂いたのは有り難くもあり、当時(あ、今もですが!)無職だったのにお断りするのに少し勇気は要りましたが、人生の中で大切なのは「時間」です。

いつ今の人生が終わっても後悔の無いように、本当にやりたいことに人生の時間を使おうと決めました。 一見無謀な決断のように見えるかもしれませんが、「人生の貴重な時間を優先する」そう決めたら、精神的には肩の荷が下りました。 1番大切なことは、そこで(その、人生の時間の使い方のことで)ギフト・エコノミーを実践したい!と決めたことでした。

数年前に、Nipun Mehta (ニップン メタ)さんの実験的な「与え続ける試み」、そしてお会計ゼロのレストランKarma Kitchen を知り、メタ氏のスピーチの映像を数々拝見しているうちに、 私も一度でも良いからこの体験がしたい、と強い憧れの気持ちを抱くようになりました。

ニップン メタさんの『寛大さへの3つのステージ』では、与えること、受け取ること、そしてその流れの中でダンスをすること・・・抽象的な表現ですが、フローに喜んで身を任せること、という感じでしょうか・・・そのような仕組みを作れるということに感銘を受けていました。

自分の人生の中で一度は体験してみたかった、試して感じてみたかったPay it Forward (ある人から受けた親切をまた別の人への新しい親切でつないでいくこと:善意の先送り)を、捨てるものも何も無い今のこの機会に試そう、挑戦してみよう、と思ったら、長年の夢だっただけあり、そのビジョンが膨らみ、都会でのフルタイムは霞んで見えなくなってきた・・・という感じでした。この夢をやってみたい、試してみたい、ということがそもそもの原動力です。

マハトマ・ガンジーの有名な言葉、 「Be the change you wish to see in the world 」(あなたが見たい世の中の変化にあなた自身がなりなさい)のシンプルな言葉も、迷っていた時に背中を強く押してくれました。

***

高瀬由希子さんのクラウドファンディング
インド北部の村リシケシに、地元の慈善活動を支援するチャリティショップ兼カフェを開く
このクラウドファンディングは、2019年3月31日までおこなっています。

お話し・写真:高瀬 由希子/編集:七戸 綾子