スイスのヴァレー州にある小さな町ツェルマット。住人は6千人にほどですが、その名前は世界中に知られています。アルプスの象徴マッターホルンの麓に位置し、山への玄関とも言える町だからです。かつては山あいの寒村でしたが、1865年英国人エドワード・ウィンパーが前人未到のマッターホルンに初登頂をして以来、シーズンになると登山家やスキーヤーでにぎわっています。町から登山鉄道やロープウエイを利用すれば、3千メートル級の山々もすぐそこ。そんな気軽さから、本格的なアウトドア好きだけでなく、一般の観光客にも人気です。

 ツェルマットへは鉄道でアクセスするのが一般的です。いえ、正しく言えば、鉄道でしか訪れることができないのです。何と、この町では、自動車で乗り入れることも、走ることも禁止。その理由は、排気ガスによる大気汚染で町からのマッターホルンの眺望が悪くなることを防ぐため。千メートル以上の高地にあり、4千メートル級のアルプスの山嶺がぐるりと取り囲んでいる風光明媚なツェルマット。確かに排気ガスで空気が淀んでいたら、興ざめです。

 ガソリン自動車禁止のルールは観光客だけでなく町の住民も同じ。となると、移動の手段は? あれ、町を見渡すと、いたる所にクルマが走っています。だけど、普通の自動車とはちょっと違っているような……。排気ガスもエンジン音もなく、ブーンという静かなモーター音。そう、電気自動車なのです。ゴルフ場の電動カートのようなものから、軽自動車ほどのものまでサイズはさまざま。マイカーだけでなく、タクシーやトラックなど働くクルマなど種類もいろいろ。石畳の上をカタカタと走りながら、羊の群れを追い抜いてく姿は、何かの動物のようで、とてもかわいい。さすがに乗り心地は高級車のように快適とは言えませんが、アルプスの山々を眺めながら、古いスイスの町並みの中をドライブするのは、アミューズメントパークのアトラクションのようで、笑顔がこぼれてしまいます。後で町の観光案内所で聞いて驚いたのですが、電動自動車は町にある工場で生産しているとのこと。環境先進国のスイスでも、ここまで徹底しているのは珍しいことです。ここ数年、世界中でEVの導入が試みられていますが、ツェルマットは最先端をいっているのではないでしょうか?

 ハイキングからホテルへ戻り、部屋のベランダで夕食までひと休み。テーブルの上には名物シャスラ種のキリッと冷えた白ワイン。電気自動車に感謝しながら、オレンジ色に染まるマッターホルンに乾杯! ぜひ味わってほしいツェルマットの夕べです。

写真&文 美濃部 孝