ここに来たときより少しでも元気になってくれたらうれしい。
We want people to leave lightened up.
渋谷のはずれに建つTOKYO FAMILY RESTAURANTは「料理で世界を旅する」をコンセプトに、30カ国の料理とビールが楽しめるカフェ。
それぞれが自由に過ごしながら同じ時間を共有する。いつかそんな場所を作れたら
そのアレックスから部屋を借り、ふたりは親交を結ぶ。「イラン人でね、いろいろ親切にしてもらったよ」そんなロンドンでの日々、タケさんは人生初の差別を受けたという。何の落ち度もないのに自分が否定される。「けっこうクルよね。かなりショックだった。けど、自分の中にも差別があったことに気づくわけ。イラン人ってこうだよな、とかあまりいいイメージを持ってなかったなと」
「でね、もちろんイベントにもよるけど向こうのクラブに行くと居心地よくて。人種も年も関係なく、車椅子で遊びに来ている子もいたな、スニーカー履いて。自分たちの好きな音楽やスタイルが呼び水になってそこに集まって、それぞれが自由に過ごしながら同じ時間を共有している。その感じが最高だったな」旅人でもすんなり溶け込めて、居場所になる空間。人が集い、自由に過ごせる場。「いつかそんな場所を作れたらとそのとき漠然と感じた気がする」
東京に戻り、大学を卒業。クラブへも行ってみた。でも、何かが違う。「悪い意味ではなくて、なんかね、似たような雰囲気ではあるんだけど、たとえば人気のDJがいて、みんながそっちを向いて踊ってる、みたいなね。そこには自分が感じた高揚感はなくて、なんかちょっと違うんだよなーって」
22歳のとき、常連だったカフェの店長に「うちで働かない?」と誘われて
時代は「カフェブーム前夜」。AIPカフェは鞄屋に併設されていて、当時コンプレックスショップと呼ばれる形態の店だった。「今って雑貨屋とか服飾がカフェをやるのって珍しくないけど、当時は早すぎたっていうか、AIP以外にもいくつかそういう店はあったけど続けるのが大変ですぐやめちゃってたよね。AIPはカフェとしても成功して、メインだった鞄屋を地下にして1階をちゃんとしたレストランにリニューアルしようとしていた」弱冠22歳のタケさんが誘われたのはちょうどそのタイミングだ。
リニューアルオープン当日。店に行くと、店長が料理担当、タケさんの友達がバー担当、サービスはタケさんひとり。初めてカフェで働き始めた日にホール責任者になっていた。「タケ、自分で好きに作ってみろ、と。でもそのとき、不安とかそういうのはなくて、おもしれー!って思っちゃったんだよね」
思いつきで開いたクリスマスパーティは、今思い返しても最高の夜だった
ある年のクリスマス、AIPのメンバーは「思いつきで」パーティを開いた。「まだまだ“カフェ?喫茶店だろ?ナポリタンとか?”って時代だった。でも、AIPは当時からかっこよかったし、選曲もよかった。料理にも自信があったからね。仲間にいろいろ声かけて、絶対楽しいから来てよ!って」そして迎えた当日、店は予想を上回る大勢のお客さんで混雑した。
「でもさ、その夜、元カノから“どうだった?”なんて電話もらって、“たくさんの人が集まって、みんないい笑顔で楽しく過ごしてくれて、最高だったよ。売上も過去最高で!”とかって興奮気味に報告したんだけど、彼女の勤めている有名ブランド店はその日の売上が6000万円なんだって。かたやオレはスタッフ8人でがんばって30 万円」その現実を前に、タケさんはどう思ったか?「やべー!オレたちあつい!超ウケる!って。たかが500円の飲み物を必死に運んでへろへろになってやってんだなって思うと、なんかさ、最高に楽しい!って思った」
一個人としての自分がほしい店、行きたい店を作るのが大前提
その信念は多くの人の共感を得ることになる。「たとえば女性にうける店ははやるっていうけど、女の子らしいかかわいい小物が飾ってある店には自分自身が入りにくいから。でも、ここに女性が入りにくいかっていうと、そうではないでしょ?」その通り。女性もTOKYO FAMILY RESTAURANTの雰囲気は大好きだし、もちろん男性率も高い。子連れも多い。まさに、ファミレス。
身近で素敵な、東京のファミレス。今日もその空間で、何でもないささやかな幸福の時間が流れている。
photo by SHIge KIDOUE / text by Kaoli Yamane