話すと長くなっちゃうけど──「別に飲食業じゃなくてもよかったんだよね」と三浦武明さん、通称タケさんは、照れ隠しの笑顔で語り始めた。店に来る常連や若いスタッフからも、親しみを込めてタケさんと呼ばれている。
渋谷のはずれに建つTOKYO FAMILY RESTAURANTは「料理で世界を旅する」をコンセプトに、30カ国の料理とビールが楽しめるカフェ。
それぞれが自由に過ごしながら同じ時間を共有する。いつかそんな場所を作れたら
タケさんにとって若い頃から常に身近にあったのは音楽。「でも、これといった目的意識はなく。学生という猶予期間を与えられて好きなことして過ごしてる“音楽好きな男の子”だったよ」
本場のクラブやフェスを体感してみたい、自分が大好きな音楽に触れてみたいと思い立ち、「辞書も地球の歩き方も持たずに、就職活動もせず授業もほったらかしで」ロンドンへ。部屋の借り方さえわからず途方に暮れていたとき、「For RENTって貼り紙を見付けて、店にあった電話ボックスからかけてみた。相手が何言ってんのかわかんないから何度もかけては切って。そのうちわかりやすい英語の人が出てね。カフェの人も間に入って、“○○駅にアレックスってやつがいるから”って通訳してくれて」思えばそれが、タケさんとカフェとの出会いだった。
そのアレックスから部屋を借り、ふたりは親交を結ぶ。「イラン人でね、いろいろ親切にしてもらったよ」そんなロンドンでの日々、タケさんは人生初の差別を受けたという。何の落ち度もないのに自分が否定される。「けっこうクルよね。かなりショックだった。けど、自分の中にも差別があったことに気づくわけ。イラン人ってこうだよな、とかあまりいいイメージを持ってなかったなと」
「でね、もちろんイベントにもよるけど向こうのクラブに行くと居心地よくて。人種も年も関係なく、車椅子で遊びに来ている子もいたな、スニーカー履いて。自分たちの好きな音楽やスタイルが呼び水になってそこに集まって、それぞれが自由に過ごしながら同じ時間を共有している。その感じが最高だったな」旅人でもすんなり溶け込めて、居場所になる空間。人が集い、自由に過ごせる場。「いつかそんな場所を作れたらとそのとき漠然と感じた気がする」
東京に戻り、大学を卒業。クラブへも行ってみた。でも、何かが違う。「悪い意味ではなくて、なんかね、似たような雰囲気ではあるんだけど、たとえば人気のDJがいて、みんながそっちを向いて踊ってる、みたいなね。そこには自分が感じた高揚感はなくて、なんかちょっと違うんだよなーって」
22歳のとき、常連だったカフェの店長に「うちで働かない?」と誘われて
“音楽好きな男の子”は相変わらず明確な目標もなく、ある日、表参道のAIPカフェにいた。「お茶してる人、お酒飲んでる人、踊ってる人、団体、ひとり。みんながそれぞれ気ままに過ごしていて、この感じが自分はすごく好きだなーと」常連だったタケさんがカウンターでアイスラテを飲んでいると、店長が「タケ、うちで働かない?」と声をかけてくる。「その場で電話ボックスまで走って、当時のバイト先にやめますって伝えて、働き始めた」
時代は「カフェブーム前夜」。AIPカフェは鞄屋に併設されていて、当時コンプレックスショップと呼ばれる形態の店だった。「今って雑貨屋とか服飾がカフェをやるのって珍しくないけど、当時は早すぎたっていうか、AIP以外にもいくつかそういう店はあったけど続けるのが大変ですぐやめちゃってたよね。AIPはカフェとしても成功して、メインだった鞄屋を地下にして1階をちゃんとしたレストランにリニューアルしようとしていた」弱冠22歳のタケさんが誘われたのはちょうどそのタイミングだ。
リニューアルオープン当日。店に行くと、店長が料理担当、タケさんの友達がバー担当、サービスはタケさんひとり。初めてカフェで働き始めた日にホール責任者になっていた。「タケ、自分で好きに作ってみろ、と。でもそのとき、不安とかそういうのはなくて、おもしれー!って思っちゃったんだよね」
思いつきで開いたクリスマスパーティは、今思い返しても最高の夜だった
AIPでは、誰も何も教えてくれなかった。自分にも飲食業界での経験はほとんどない。「いらっしゃいませって何のために言ってるんだ?オペレーションって何?客数とか数えたほうがよくない?って、そんなレベル」と笑うが、その「未経験」を強みに変えた。思いのない「いらっしゃいませ」より、気持ちのこもった笑顔と挨拶で接すればいいのだし、新入りのスタッフにもあえて話しかけて教えようとはしなかった。「だって、一緒に働く仲間に対して積極的に話しかけられないようなやつが、お客さん相手にコミュニケーションなんか取れるわけないから」ありとあらゆることを自分で考え、スタッフと相談し、決めていく。それは今も変わらないタケさんのやり方だ。
ある年のクリスマス、AIPのメンバーは「思いつきで」パーティを開いた。「まだまだ“カフェ?喫茶店だろ?ナポリタンとか?”って時代だった。でも、AIPは当時からかっこよかったし、選曲もよかった。料理にも自信があったからね。仲間にいろいろ声かけて、絶対楽しいから来てよ!って」そして迎えた当日、店は予想を上回る大勢のお客さんで混雑した。
「でもさ、その夜、元カノから“どうだった?”なんて電話もらって、“たくさんの人が集まって、みんないい笑顔で楽しく過ごしてくれて、最高だったよ。売上も過去最高で!”とかって興奮気味に報告したんだけど、彼女の勤めている有名ブランド店はその日の売上が6000万円なんだって。かたやオレはスタッフ8人でがんばって30 万円」その現実を前に、タケさんはどう思ったか?「やべー!オレたちあつい!超ウケる!って。たかが500円の飲み物を必死に運んでへろへろになってやってんだなって思うと、なんかさ、最高に楽しい!って思った」
その後、「HERE WE ARE marble」を立ち上げ、「KEL」をプロデュースしたのち、2006年6月、渋谷にTOKYO FAMILY RESTAURANTを開く。高い天井、広々とした空間、コンセプトである「ワールドフード」を連想させる多国籍な小物、全体を流れる統一感。それらはすべてタケさんのセンスと手腕によるものだ。「初めて来たときは廃墟みたいだったよ。でも、秘密基地みたいでワクワクした。ここだ!って感じた」
一個人としての自分がほしい店、行きたい店を作るのが大前提
タケさんは「売れるかどうか」で物事を決めない。「売れるもの=良いものではないので。ここはインディペンデントなお店だし、マーケティング的な発想はあまりないですね」。はやるための鉄則は知っているが、何よりも一個人としての自分、東京での生活者としての目線を大事に。「子どもっぽい言い方だけど、自分がほしい店、自分が行きたい店を作るのが大前提だから」セオリーよりも、自分自身が信じる方向へ。
その信念は多くの人の共感を得ることになる。「たとえば女性にうける店ははやるっていうけど、女の子らしいかかわいい小物が飾ってある店には自分自身が入りにくいから。でも、ここに女性が入りにくいかっていうと、そうではないでしょ?」その通り。女性もTOKYO FAMILY RESTAURANTの雰囲気は大好きだし、もちろん男性率も高い。子連れも多い。まさに、ファミレス。
平日限定のお得な夜定食「WORLD FOOD DISH」、豆と野菜のタジン、ひよこ豆のフムス(自家製ピタパン付き)、各国のビールなど、まさに世界を旅する感覚のメニューが揃う。素材にも味にも最大限にこだわるが、「そんなのは当たり前だから」とあえてそれを「売り」にはしない。「何を食べるかだけが重要なんじゃなくて、何気ないやりとりや気持ちのいい挨拶があってこそ心身ともに元気になれるでしょ。ここに来たときより少しでも元気になってくれたらうれしい。そのためのメニューだし、そのためのコミュニケーション」その想いはスタッフにも確実に伝わって、この店をますます輝かせる。
いずれファミリーレストランという名の店をやろう、というのはずいぶん前から決めていた。そのきっかけは、とある雑誌でカフェオーナーの座談会をやったとき。「流れでね、うちは居酒屋でもファミレスでもないよ、うちのお客さんにはこうあってほしいんだ、みたいな話になったんだけど、自分の考えは違うな〜と思って。ファミレスに行くつもりで来てもらってかまわない。生活の中でさ、何でもない日をもっと楽しく過ごそうぜっていうね。気楽に来て、でもそこでどんな時間を過ごしてもらえるかは自分たち次第だから」特別な場を作っているのではない、当たり前の質、基準を上げたいという。「何でもない場所だって、もしかしたら誰かにとってその日が忘れられない特別な日になりうることはあるんだから」
「けっこう繊細なところもあるし、いろいろ考え抜くタイプ。その上で思うんだけど、今までの出来事も人との出会いも、基本、全部、事故。導かれているようにも思えるけど、実感としては事故。アクシデントだよ」と笑う。そうなのかもしれない。でもそれは、同じ時間、同じ地点に居たとしても、タケさんにしか起こらないアクシデントだ。すべてはやはり、彼自身が引き寄せた結果なのだから。
身近で素敵な、東京のファミレス。今日もその空間で、何でもないささやかな幸福の時間が流れている。
photo by SHIge KIDOUE / text by Kaoli Yamane
2014/01/20