食べ物の色に汚い色なんてない。黒くても、茶でも紫でもそれぞれに美しいと思っている。色だけでなく、粉を吹いたようなブルーム、そばかす模様、虫食いやキズですら、人間の作為を超えた美しさがある。

新にんにくの皮の紫、桃の妙に赤くなったところ、新たまねぎの半透明感、ほうれん草の軸の鮮やかなピンク、黒豆の煮汁の暗い紫、赤オレンジの皮や断面、かぼちゃの深緑の皮のすぐ下の色、新米の緑みの乳白色、うずら豆や虎豆の模様、干し柿の深いオレンジ色、黒ねりごまの均一でない濃いグレー、生のブルーベリーを割ったら紫じゃなくて薄緑だった、ライチは意外に象牙色、パッションフルーツは皮の色もいいが種のまわりの色もいい、手前味噌のたまりの深い茶色、ゆかりふりかけの黒っぽい紫、甲斐路という品種のぶどうの皮のグラデーション。

色の他にも、鰯の光るうろこ、浸水中の豆にしわが寄るさま、茎わかめのギザギザ、大根を繊維に沿って薄切りにしたときの模様、カラメルソースを作る時の白い大きな泡も、焦げていくさまもいい。

普段気にかけないで通り過ぎる事でも、見方を変えれば面白い景色が潜んでいる。料理の合間に一瞬の色や状態に出くわすと、汚れた手でカメラを持ち出すので、わたしのカメラはベタベタしている。

写真&文 中村 宏子