レモンの香気
vol.53
塩麹の次は塩レモンブームなのか、書店にはたくさんの塩レモン(レモン塩とも)に関する本が平積みになっていて驚いた。我が家にも、1年ほど前にTVで見かけて仕込んでみた塩レモンがあるのだが、仕込んだきり使いこなせていない。あまのじゃく故に、ブームに乗っていると思われるのも癪なので、もうしばらく熟成(放置?)させようか。
今回はフレッシュなレモンを使ったパスタ料理を紹介する。材料は至ってシンプルに、スパゲッティ、レモン(汁と皮)、オリーブ油、塩、イタリアンパセリだけ。強めの塩を入れた湯にスパゲッティを入れ茹でて、ザルに上げる。鍋にスパゲッティを戻し入れ、一人分に付きレモン汁大さじ1、レモンの皮のすり下ろし適宜、オリーブ油大さじ1を加え、よく混ぜる(火にはかけない)。皿に盛りつけてから、刻んだイタリアンパセリを散らす。あっけないほど簡単だが、レモンをダイレクトに感じられる一皿だ。応用として、パルメザンチーズや生クリームを加えるのもいいが、まずはシンプルなレシピで。
余談になるが、つい先日、品川の大井町を自転車で彷徨っていたら、詩人で彫刻家の高村光太郎の『レモン哀歌の碑』なるものを見つけた。光太郎の妻・智恵子が闘病の末に最期を迎えた、ゼームス坂病院の跡地だそう。碑は大きな桜の木の下にあって、いくつかのレモンが供えられていた。
レモン哀歌 高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
「智恵子抄」より
写真&文 中村 宏子