見返りや結果は求めないベストを尽くしたらあとは手放す
地理の先生からヨガの先生へ
ユカリン はい。中学、高校で地理をメインに教えていました。教職の道を選んだのは「取り柄」がなかったから。医者になりたいとかスポーツが得意とか…。ただ、新しいことを知ること、学び続けることは好きで、いわゆる「勉強」はそれなりにしてきました。大学と大学院で文化人類学を専攻していて、できればそれを仕事に活かしたいというのはありました。
ただ私、同時にとても怠惰なんです(笑)。だから、怠けずに学び続けられる上に、その背中を生徒に見せることで役割を果たせる仕事というのは一石二鳥だと思って教職の道に進みました。
――地理の先生からヨガの先生になるのに不安はなかったですか?
ユカリン 全然なかったんです。自分でもおかしいのかなって思うんですけど(笑)。普通だときっとお金の心配とかもしますよね。計算は一応あとからしてみたんです。「教員辞めます」と言ってから、健康保険とか年金とか計算して、住民税も見て「うわ~、なるほどみんなが定職を辞めたがらないというのはこういうことかー!」とは思いましたけど(笑)。辞めるって言っちゃったしまぁいいか!と。
――ヨガを始めたきっかけは何だったのですか?
ユカリン 始めたときは肩こり・頭痛の解消が目的です。近所にあったスタジオ・ヨギー神楽坂に行きました。そうしたら、普段なかなかないスッキリ感があったんです。体だけじゃなく、クラス冒頭にある先生の話も素直に自分の中に入ってきて。ヨガって体を動かすだけかと思っていたら、行く度に「ポーズはできなくてもいいから」「自分の内側にもともとある光を輝かせましょう」「胸を開きましょう」って言われて。実際その通り胸を開いて肩の力を抜いて行くうちに、そういう身体的な動作と、精神的に心を開いて肩の力を抜くということとが互いに連動していることを実感するようになったんです。
競争社会で育まれた価値観の中で響いた「生まれたときから完璧」
ユカリン はい、特に「私たちの内側にはすでにすばらしいものが備わっていて、生まれたときから完璧な存在なんですよ」という言葉は響きました。あとから考えてみると、私の人生におけるそれまでの「当たり前」とは真逆のことを言われたからだと気づきました。
私が教えていた学校も進学校でしたし、自身も進学校出身で、そういうところって頑張らないといけないんです。比べないといけない、ずっと競争で、偏差値が足りないと受からないんです。いざ受かっても、今度は出身校で比べます。大学院に行っても、他の学生たちはみんな研究者を目指していて、そうでない私にはどこか劣等感がありました。
もっとできなければ、もっとやらなければ… それにずっと追われてきて、それが「当たり前」だと思っていました。だから、「生まれたときから完璧」と聞いて、最初はすごいこと言ってるなぁと思ったんですけど、ヨガを続けて行くうちにそれが何だか腑に落ち始めたんです。
――腑に落ちる、というと?
ユカリン ちょうど30歳前後ぐらいに価値観の転換を迫られる大きな体験をしたんですが、それをヨガの考えが、整理し始めてくれた感じがありました。
BTC(※1)に飛び込んで,ヨガスートラに関する課題図書を読んだとき、「私が知りたかったことはここに全部書いてある!」と思いました。その時の高揚感というか、それまでバラバラになっていたものが一気にまとめあげられて行くような感覚は今でも忘れられません。
――ヨガを教えようと思ったきっかけは何だったのですか?
ユカリン 当時担任していた学校の生徒に「先生ヨガやってるんでしょ、教えて!」って言われて、放課後何人かに教えることになったんですね。ところがヨガクラスには何度も出ているのに、いざ自分が教えてみたら全然思ったようにいかない。言葉が出てこないんですね。自分でやるのと教えるのとは、全然違うんだと思って衝撃を受けました。それで乗りかかった船だと思ってTTC(※2)を受けることにしたんです。
※1 BTC・・・ベーシックトレーニングコース。ヨガの基礎を学ぶ養成コース
※2 TTC・・ティーチャートレーニングコース。ヨガ指導者としての知識とスキルを学ぶ養成コース
思い通りにいかなくてもノンストレス選択するのは自分ではない
ユカリン BTCでキミ先生からカルマヨガについて学びました。自分がこれだと思ったことをして、見返りを期待せず結果は委ねましょうというものです。なるほど、私は見返りを求めているからこんなに苦しいのだと素直に入ってきたんです。やるだけやったら手放せばいい、だんだん本当にそうシンプルに考えられるようになって行きました。それからは直感でこれをしたいと思ったことを素直に受け入れるようになりました。
授業でも「地理を学ぶのは楽しいよ」「ここはセンター試験に出るから絶対におさえてね!」と一生懸命伝えても、やらない生徒は「やらない」という選択をしている。もちろんこちらに非があるかもしれないし、こちらを嫌っているというのもあるかもしれないけれど、私なりに準備をしてできる限りをしたら、あとは手放してもいいのかなと考え始めました。そうしたら担任を持ったり授業をしたりするのがすごく楽になりました。「私はこんなに一生懸命伝えているのに!」というのがなくなりました。
――ユカリンさんにとってのArt of living とは
ユカリン 自宅をスタジオに改装したのも思いつきだったんですが(笑)、ヨガを始めてから直感が冴えるというか、頭じゃなくて「魂」で捉えるというか、それに導かれることを自然にやるという感じになってきています。 誰かに出会うのも、何かするのも、何か出来事が起こるのも、私が選択していることじゃない。そもそも何事も思い通りになんて行くわけがないんです。だから、よいとか悪いとかいうレッテルを貼らずに、あらゆるものごとを何かのメッセージだと思って受け止めています。
つらい時って人のせいにしたくなりがちですよね。「私はこんなにやってるのに何で?どうして?」みたいに。でも私自身にもつらいときはいっぱいあって、確かにあんなに苦しんだり泣いたりしたのに、時間が経って、今日もおいしくご飯を食べている、今日も元気に生きている。結局、けっこう何でも何とかなるんですよね(笑)。だったら「考える」のはいいけど、「悩む」のって効率がよくないしハッピーじゃないと思うんです。だからいまは「悩む」ことってほとんどないです。心が赴くままに、何か大きなものに委ねるように生きられるようになって楽になったこと。それがいまの私にとってのArt of livingなのだと思います。
写真・文 Art of living magazine 編集部