今年二月中旬、東京は大雪が降って大変だったのですが、「見島も大荒れで、定期船が今週は一日しか走っていなくて、旅館にお客さんが閉じ込められている」と旅館に電話した時に聞きました。このニュースにならないニュースが同じ日本なのだと思います。

そんな小さな日本の見島の宇津観音で、毎年八月十日、「千日参り」というお祭りが行われます。一日お参りすることで千日お参りしたと同じくらいのご利益があるという一日。

一年に一度のご本尊の観音様の御開帳の日でもあります。
この観音様は、弘法大師が33歳の厄年に中国から流したものが見島のこの湾に辿り着いたという謂れがあります。

私は、観音様の写真が撮れたらなあと思い、お邪魔しました。

でも、写真はだめと言われ、ちょっとしょげていたのですが、島の人たちは温かく迎えてくれて、記念写真を撮影したりして、なんとなく楽しい時間を過ごしました。

にこやかな皆さんですが、この時、印象的なことを言っていました。
来年は、あの石の方から「おーい」と言っているかもよ、と皆で大笑い。
ああ、この島はあの世とこの世がこんなにも近くにあると強く感じました。

亡くなったかたの名前を書いて石を積むという風習があります。

千日参りの一日の間に、梵字の書かれたものを身につけた人たちがお参りにきました。
明らかに他の土地から来た人達であり、仰々しい感じでした。そういう人たちを見ると「日本三大正観音」の一つと言われていることも信じられそうな気分でした。

後であの人たちは?と島の人に聞いてみると、皆、「しらーん」との返事。

ちょっとその感じが可笑しいのです。

宇津観音で夕食もすっかりごちそうになって宿に帰ってきて、その夜
どうして観音様のことを撮影させてくれなかったのか、謎が解けました。

「観音様の鑑定とかされたら困るから、撮影はやめてもらった」
と旅館のおかみさんのところに、その親戚の方が伝えにきてくれました。

そんなことしないのになあ。

でも確かに、弘法大師は33歳の厄年の歳は中国にいなくて、
「もう日本に帰ってきていたんじゃよ」
とこれも郷土史家の方が笑いながら話していた話です。
お茶目ですよね。どこか憎めない愛らしさを感じました。

写真&文 野頭尚子