終わりは「始まり」であり
vol.4
いつの頃からか、ボクは咲き誇っているときの花より、それらが散って朽ちてゆくときの花に、いっそう惹かれるようになった。花に限らず、落葉や倒木たちをみると、気持ちが落ち着くんだ。それは枯れても朽ちても、それが生命(いのち)の終わりじゃない。そんな「生命の流れ」を、ボクに気づかせてくれるからだろうか。――
ツツジの散り花をめぐり、彼とのおしゃべりがあっちへこっちへと弾んでいくなかで、ちょっとおもしろいことを教えてもらった。なんでも日本人は元来、自然は「じねん」といって呼んできたらしく、それが明治に西洋文化が入ったときにNatureという英語に「自然」をあてた際に、「しぜん」と読むように翻訳されたのだと。「じねん」は、「自ずから然(しか)らしむ」、「在るがまま」といった意。散りゆくツツジと同じく、人の生命の流れも「じねん」、在るがままと思える民族なのだ、私たちは。
きのうまで咲き誇っていた花が、きょうは散り落ちて、やがて朽ち土へ還る。朽ちることは、変化であっても、終わりじゃない。そして終わりは始まりであり、生命にはつねに「つづき」があるのだ。人が老いることも死ぬことも結末ではないと、誰にみられることなく咲いて枯れゆく花たちが教えてくれる。そうと気づけば、たとえいまが苦しくても、つねに希望は残る。
写真 細川 剛 / 文 おおいしれいこ