「どんな森が好きですか?」
 森に通う彼に、まわりの人はよくそう尋ねるそうだ。対して、「どんな森でも、それぞれに良さがあるから」などと答えていたという彼。南の森、北の森、名もなき森……どんな森でもそれぞれに事情があり、その場所で育まれたその森らしさがあって、それぞれに素敵でないはずなどないのだからと。
 でもあるとき、あまり好みではない森があることに、彼は気がついたという。それは大手企業が所有する、とある森に入ったときのことだった。

―― 実際、そこは丁寧に管理されている森で、なかなかに美しい森だったんだ。でも、いくらすばらしい樹がたくさん生えている森でも、その森のなかを歩いていると、ものたりなさと居心地の悪いかんじが、ボクのなかで少しずつ膨れあがってきた。ほどなく、その気持ちがどこからやってくるのかに気がついた。その森には、一本も「 倒木」がなかったんだ。

  その森はいい木つくるための森。倒木を放置すれば、病気や虫を媒介する可能性があり、できるだけ速やかに森の外へ運びだされるという。倒木がない美しい森のなかを歩きながらボクは、ふだんは何気なくみていた倒木の存在の大きさをあらためて思い知った。

 たしかに強い台風に直撃された森など、あたかも巨大怪獣が暴れまくった後のようでもあり、亀裂の入った折れ跡がイタイタしく、正視できないときだってある。でも、そんな倒木たちも、3年4年5年と、流れる時間とともに、少しずつではあるが、まろやかにな姿になってゆくのだ。樹の表面にはいろんなキノコが顔をみせはじめ、近寄ってみるといろんな虫たちが忙しそうに動きまわっていたり。覆われたコケのなかに、まわりの樹から落ちた種が新しい生命を芽生えさせている姿を目にすると、なんだかひたすら心が落ちつく。樹は倒れてからも、大きな樹の時間を生きているんだ。

  ボクら人はおおよそ樹が倒れた姿に、その樹の生命の終わり感じ、悲しむ。でも倒れたことで、そこに生命をよせて生きるものたちと、次なる「新しい時間」を育み、倒木はやがて土に還ってゆく。朽ちてゆくもの、生まれるもの。そんな時間へ案内してくれる森が、ボクは好きなんだな、といまさらのように思うんだ――


 あらがわず、あるがままに。そんな時間が森から消えぬことを祈りたい。

写真 細川 剛  / 文 おおいし れいこ