3.望みの本質をみつめ、ゆだねる
たとえば「宝くじに当たりますように」というお願いごとも、ただ単に当選したいのか、お金が欲しいのか、なんでも買えるような豊かさが欲しいのか、その先に望んでいるものを突き詰めて考えてみるといいですね。それによって、当選したいだけなら「くじ運がよくなりますように」というように祈り方も変わってきます。余分な想いがそぎ落とされたかたちで望みの本質をみつめたら、あとはゆだねます。どうしても譲れないことだけを自分で決めて、どんな道をたどって実現するのかはまかせてしまう。こういうかたちで起こるべきだと思い込んでいるとせっかくのチャンスを見過ごしてしまいますから、強い想いを持ち続けながらもゆだねる姿勢が必要です。

自分が何をしたいかわからないときこそ、瞑想を

― キミ先生は毎日お祈りをしてから瞑想されるそうですが、お願いごとと瞑想には何か関係があるのですか?

毎日続けている実感として、祈りと瞑想はつながっているなと思います。神社やお寺にお参りしたり願いごとを紙に書いたり、私たちは願いを叶えようとしていろいろな方法をとりますが、瞑想はそうした行動をスムーズにするための潤滑油みたいな感じですね。たとえば面倒くさい、どうせ無駄だというような想いを潜在的に抱いていることもありますが、瞑想をしているとそうした不調和がクリアになり、迷いがなくなってスパッと行動できます。

― 実際に瞑想しているとき、頭の中では何が起こっているのですか?

たとえば、誰かに嫌なことを言われたとします。瞑想していないと、あのときもこう言われた、あれも嫌だった、これも嫌だったというふうにどんどん妄想が膨らんでしまいがちです。実体験は3回だけなのに、何百回も考えることで何百回も体験した気持ちになってしまう。

瞑想をしていると、頭の中で「あ、また言ってるなー」と気づき、妄想のような疑似体験を重ねることはありません。救急車が通り過ぎるときのような感じかな。「ピーポーピーポー」と大きな音に驚いたりしても、やがて音量も音程も変わって遠ざかっていく。最初はすごく混線している感じですが、だんだんサイレンと自分は別なんだということがわかってきます。もしどうしても救急車の音が過ぎ去らず、いつまでも気になるようなことがあるときは、その煩わしい想いを手放せるように祈るといいですね。

瞑想の中にも日常にも祈りがあると自分がどんどん楽になります。瞑想や祈りで完璧な人間になるわけではなく、嫌だと思うことがあっても立ち直りが早くなり、深刻にならなくなってくるのかもしれません。

あれが嫌だった、というようなことばかり考えていると、自分が何をしたいかに意識を向けられず、それだけで毎日が終わってしまいます。それではもったいないですよね。人間の頭の中もコンピュータと同じで一度に処理できる量は限られます。だから、ネガティブな妄想のソフトはできるだけ起動させず、自分が何をしたいかというほうに意識を向けられたらいいなと思います。

休日にどこへ行こうか、どんな食べものが好きなのか……最初は小さなことから、自分で自分に「何したい?」と聞いてあげてください。よく、仕事一筋だった方が病気の療養などをきっかけに人生を考え直し、生き方を変えるようなお話がありますよね。日常から離れて考える時間があると、自分にとって本当に大切なものを見出せる。でも、私たちはできるだけ病気になりたくはないから、願いや祈りを通じて自分をみつめたり、瞑想によってその本質とつながったりできたらいいなと思います。

好きなことを望んでいい >>>願いを叶える瞑想 1 

取材・文 古金谷 あゆみ/「スタジオ・ヨギーのある生活」vol.20より