言葉があれば、人はわかりあえると思っていますが、言葉は最良のコミュニケーションなのでしょうか。キミ先生にお話しを伺いました。

言葉は音ではあるけれど、音がイコール言葉ではありません。言葉で気持ちを伝えることもできれば、正しいことでも伝える言葉を選ばないと伝わりません。また、言葉が不器用でも伝わることもあります。言っていることとやっていることの間に差があったり、まったく違ったりする、態度が変わる、という人の言葉には力がありません。

言葉は、コミュニケーションを取るためのもの。人と、ペットと、コミュニケーションできている人はいても、自分とのコミュニケーションができている人が多くありません。自分の本当の願いを知っている人はいません。何かが自分の本心を知るのを阻んでいるのです。

占いで何か言われて涙する、ということがありますね。それは、気づきをもたらされるからでしょうか? きっと、ふたをしている本当の思いに気づくからなのかもしれません。潜在的には自分で全てを知っていても、本心を自覚するのを阻む何かの感情や記憶があるからなのでしょう。

ヨガのラーマーヤナは、桃太郎の原点と言われています。悪者だった王を倒すと、彼は死に際にいい人に戻って自分を倒した王子に教えをたれるのです。

“あるとき、いいことをしようと思いたったことがあった。けれど、そう思いながらついつい先延ばしにしてきた。そうしているうちにすっかり忘れてしまった。ところが、悪いことはすぐにやってしまった。悪い企みには、すぐさま取り掛かってしまっていた。だから、いいことは一刻も早く始めなさい。”

言葉とはいったいなんでしょう。嫌な言葉はぽろっと出てしまう。いい言葉は恥ずかしく思えて、言うのに時間がかかってしまう。

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いい言葉・悪い言葉に限らず、本当の自分の思いと、ついつい表現してしまうこと=言葉が合っているのか、考えさせられました。

目にみえないものの大切さ 1 音の影響

お話 ヨガインストラクター キミ/文・編集 七戸 綾子