――運命と自由意志、どちらが人生を決めているのでしょう?

運命的な要素がある時もあると思いますし、自分で切り開いていく要素もあると思いますが、物事を起こすように促すのは想いが一番先だなあと思います。

――想いとは、言葉に表現もできるし、行動にすることもできますね。

人が、心の底にある想いに沿って、音楽や芸術などで自由に表現した作品を見た時、なぜ感動したり、心の琴線に触れるかといえば、アーティストの表現した美や力強さを自分自身の内側の深い所にも持っているからです。

それを感じられるのは、想いの深い部分、本質に近い部分です。自分自身の内側を表現するアーティストは、世間の常識や社会の制限に囚われず、とことん自分自身の想いに向き合って、想いの深い部分で表現するという行動をします。

私たちはふだん、常識で考え、行動し、言葉を発していることが多いかもしれません。でも、心の底からの本心がそう“思っている”のでしょうか。ときに、世間の考え方や常識が無意識に私たちの想いを覆っていることもあり得ます。

となると、“こうあるべきと決めつけてはいないか?”“本当に自分は心の底からそう思っているのか?”と、立ちどまる時間が必要なのだと思います。その、立ちどまることができる方法の一つに瞑想があると思います。

1つの出来事に対して、善いこと・悪いこととはいちがいに言えず、出来事とは多面的ですが、人は物事の一面だけを一時的な視点でみて判断する傾向があります。私たちが何等かの判断基準をすることで、喜怒哀楽の感情が生まれます。善いと思えば嬉しいですし、間違っていると判断することで、他者に怒りを覚えることもあります。環境や社会の中で培ってきた判断基準で喜んだり悲しんだり、感情に左右されることもあります。

人の思考回路というのは、反復して刻み込まれ、経験で覚えていることが多いのです。つまり、環境の産物なのです。環境で培われた自分の判断にゆだねることから離れて、内側の感覚、環境から培った体験とは違うハートのような部分につながらないと、成長はできないのでは、と思います。

――感情によって、本質的なものがみえなくなっていることがある。自分の本当の想いに気づけないことがある。そんな感覚とインスピレーションの違いを分けられるといいな、と思います。それにはどうしたらよいのでしょう。

瞑想で起こるひらめきも、ふだん気づくとのできない思いに気づく助けになると言います。

――ぼーっとしていることと瞑想は違うんでしょうか?

ぼーっとしていることで、脳を休ませて普段活性化していない脳の多大な部分が活発になります。ぼーっとすることが少ない忙しい人こそ、瞑想をする時間が必要です。

ぼーっとすることと瞑想は、厳密には違いますが、脳の状態としては似ているので、瞑想の時間がない人にはぼーっとすることを勧めています。ついついスマホを見たり音楽を聞いたり、電車やバスで過ごす時間を有意義に使おうとしますが、実は何もしない時間が脳にとってはリフレッシュでき、一番有意義な時間になるのです。

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やりたいこと、願い…それが本当の”想い”なのかは、見えなくなっていることが多いのかもしれません。あるいは、みつからない、ということも。

瞑想で、本当の思いに気づけたら、想いと行動が一致して、自分自身も生きやすくなり、周りを幸せにすることにつながるのかもしれません。

心の底から叶えたい願いとは?(想いと行動の関係 前編)

お話 ヨガインストラクター キミ/文・編集 七戸 綾子