ガンジス河は、インドでも最も神聖な川の一つです。それは女神ガンガーとしてインドでは、敬われています。今回は、そんな、女神ガンガーのお話です。

まずは、ヨガを創始したシヴァ神の頭に注目してみましょう。

シヴァ神の頭に、小さな女性のお顔を見ることができます。実はこの女性が、インドでも有名な、女神ガンガーで、女性の姿で描かれたり、花の姿で描かれたりすることがあります。

イラストでは、女神ガンガーの口もとから水が噴き出しており、ここからガンジス河が始まっていると考えられています。言い換えると、シヴァ神の頭からガンジス河が始まっているのです。だから、シヴァ神のイラストには、女神ガンガーと水が描かれているのです。

天界の女神ガンガーがなぜ地上に降りてきたのか、それは古の時代、バギラタ王というインドの王さまが、祈りを捧げ、この地上に聖なる川を降ろしたと言われます。

バギラタ王は、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に出てくるラーマ王子の祖先にあたります。

バギラタ王の高祖父(ひいひいおじいさん)にあたるサガラ王の6万人の息子が地下世界で亡くなり、バギラタ王の高祖父も、祖父も、父も、供養したかったものの、誰も供養することが出来ずにいました。

なぜなら、6万人の祖先の供養をするためには、俗世の水で供養しても効果はなく、天界の女神ガンガーの神聖な水だけが、6万人の祖先を救うことができたのです。

しかし、女神ガンガーに地上に降りていただく方法を誰も知りませんでした。

バギラタ王はラージャリシと呼ばれる徳高き王さまだったので、国の統治を大臣たちに任せ、苦行に励みました。そして、その苦行は1千年間も続きました。その苦行に満足して、女神ガンガーは、その苦行に満足して、とうとう地上に降りることになりました。しかし、女神ガンガーの川の勢いがあまりに激しすぎて、そのまま地上に降りても、大地はそれを支えることができないくらいの強さで、シヴァ神だけがその勢いを支えることができると言われました。

そこで、バギラタ王は、カイラス山へ行き、シヴァ神に一心に祈りを捧げました。バギラタ王の祈りに満足したシヴァ神は、女神ガンガーの強い衝撃をご自身の頭でいったん受け止めてから地上へ流すことを承知したのでした。

女神ガンガーは、あらゆる魚や生物と共に、光り輝き、汚れない清らかな水として勢いよくシヴァ神の頭から地上に降りました。そして、6万人のバギラタ王の祖先のいる場所へと流れました。天界から流れてきた女神ガンガーの神聖な水のおかげで6万人の先祖の霊は天界へと戻ることが出来たそうです。

今回ご紹介した女神ガンガーは、神聖な水の流れと共に、罪や汚れを取り除きたいと望むものの罪を清めるという役割をお持ちになって地上に現れました。

シヴァ神の頭から地上に降りた水は、罪を清めてくれるということで、天人や人々はその水で沐浴をします。

ガンジス河は、ヒマラヤのゴームクという場所から始まっていると言われていますが、ヒマラヤはまさにシヴァ神の住んでいる場所で、聖地として、毎日多くの巡礼者が参拝に訪れています。

ヒンズー教徒の中でも信心深い方々の間では、ガンジス河で沐浴を行うことで罪が清められると信じられており、ガンジス河で沐浴を行うインド人の姿を多く見ることができます。

こちらは、清めの沐浴をするインドの修行僧です。

清めの沐浴するときは、こんな風に祈りを捧げながら頭のてっぺんまで3回つかります。

神聖な場所に参拝しに行くことを巡礼と言いますが、巡礼の旅でガンジス河に来て滞在している間毎日沐浴を行う人もいれば、1回だけ沐浴する方もいます。水に入ることが出来ない場合や苦手な場合には、手に取った少量の水を頭からかけるだけの人もいます。

また、ガンジス河沿いの寺院や特定の場所では、毎日決まった時間に、僧侶達が祈りのマントラと共に火やお花を女神ガンガーに捧げたりもしています。

インドの聖なる河や山は、今回のお話のように神々が天界から降りてきたり、山や岩の姿として人間の目にも見えるようにしているという神話がたくさんあります。

水の神さま、火の神さま、山の神さまなど、自然界の万物に神が宿ると考える日本の八百万の神の考え方とも通じるところがあります。


もちろん、ガンジス河は、罪や汚れを清めるだけではありません。

ガンジス河で体を洗う人、口をすすぐ人、洗濯する人、色々な方を見かけます。

シャワーやお風呂の代わりに体を洗ったり口をゆすいだりする人もいますし、泳ぐのを純粋に楽しむ人もいます。

インドでは、女性は水着にはならず、こんな風に、サリーやパンジャビドレスのままで沐浴します。

水牛も沐浴?(笑)

もちろん人間だけでなく、ガンジス河には、魚や両生類など、様々な生命が住んでいます。

女神ガンガーは、女神の存在を信じる人にも信じない人にも、そのめぐみをいつも与えているのです。

清めの役割としての川や水は、他の宗教でもその伝統が息づいています。

日本でも、川や海に入ったり、滝に打たれたりして身を清める禊があります。

伊勢神宮のウェブサイトにある内宮の地図を見ると、五十鈴川の御手洗場には、『参拝する前に身を清める場所です。清流で有名な五十鈴川で身も心もリフレッシュしてからお参りしましょう。』と書かれています。
五十鈴川で行われている禊でも、川に入っている間に祈りを捧げるそうです。

キリスト教においても、イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのもヨルダン川です。ヨルダン川での沐浴は、インドの沐浴と全く同じ方法で、頭のてっぺんまで3回浸かって、身を清めます。

清らかな川の水で心身を清めるということは、宗教の違いを超えて実施されてきたようです。

私たちが見る形としては、川や森羅万象ですが、インドの神話を読み解くと、それらは神格化されます。森羅万象には、私たちには知覚することのできない大いなる力が働いており、自然を敬うことは、すなわちそこに内在する神々を敬うことと同じように尊いのだなあと感じます。

文 ヨガインストラクター キミ/協力 SitaRama、Krishna Culture/編集 七戸 綾子