ともだちのきっかけ~感情の奥にある真意をみつめる~
vol.14
いつも”子育てひろば”に遊びに来ているふたりは、Aちゃんはとても活発で、ママの手を引っ張って行っては、次から次へと楽しい遊びを繰り広げます。
Bちゃんはとても慎重で、ママのお膝の上で絵本を読んだり手遊びしたり、おままごとも全部、ママと一緒。ふたりの世界。
でも、AちゃんもBちゃんもお互いのことが少し気になる様子。
Aちゃんは活発ですから、Bちゃんにもちょっかいを出します。Bちゃんは慎重なので、それにびっくりしてすぐにママの胸の中で泣きます。Aちゃんのママは、また泣かせちゃった!と慌てて違う遊びにAちゃんを連れ出します。Bちゃんはママの膝の上で、じっとしています。
子育てひろばは、地域子育て支援拠点として、0~3歳を中心とした乳幼児とその保護者が、一緒に遊んで過ごせる場所です。ある日、子育てひろばでそんなBちゃんをお預かりすることがありました。Bちゃんのお母さんは、出産が近づいています。
やはりその日も、ひろばにはAちゃんも来ていました。Aちゃんは、Bちゃんがママではなく私の膝の上にいることに気づくと、「今日はママいない?Bちゃん、ママいない?」と何度も何度も確認してきます。Bちゃんは、私の膝の上で、ぎゅ~っと顔を隠すようにうずくまりました。
「お買い物に行ってみようか!」と誘うと、小さくうなずくBちゃん。
「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~」
Aちゃんたちの威勢のいい声が響きます。もじもじしているBちゃんに代わって、私が口火を切ってみる。
「こんにちわ~。今日は何がおすすめですか~?」
Aちゃん「アイスクリームで~す!」
そこらへんにあったおもちゃを、何でもアイスクリームに見立てて沢山並べて売っています。
Bちゃんが「これくださ~い!」
おっ!?と思うほど明るい声で、オーダーしました。するとAちゃんは、
「これはダメで~す!!」
少しふたりの空気がピリっとしました。すかさず私が、じゃあこれはどうですか~?と言うと、「はい、どうぞ~!」とあっけらかんと品物をくれるAちゃん。
Bちゃんはもう一度、
「これくださ~い・・・」
少し小さな声でいいました。
「これはダメで~す!!」とAちゃん。
しばらく同じやりとりが続きました。それに気づいたAちゃんのママが、
「ほら、Bちゃん泣いちゃうから、いいじゃん、あげなよ~」と言いました。
「イヤ、これはダメ。これは売り物じゃないの!」Aちゃんは譲りません。
Bちゃんは、しくしく泣き始めます。「これがほし~い!これがい~い!」」引っ込み思案なBちゃんが、めずらしく(?)かたくなに言います。
Aちゃんのママは、「ほら~、売らないものを置いといたら欲しくなるでしょ~。あげれないなら置かないで~。」とAちゃんをさとします。
Aちゃんのママに、「もしお嫌じゃなかったら、少しこども同士に任せてみません?どう解決するか・・・」と伝えてみました。
すると、「でもBちゃん、いっつも泣いちゃうから、申し訳なくて~・・・」
なるほど、Aちゃんはいつも、Bちゃんのために少し我慢することが多いのかもしれないな~と思いました。
「もしかしたら、ふたりとも泣いちゃうかもしれないけれど、ちょっとだけ二人の気持ちを見守ってみませんか?もし泣いちゃったら、その時に考えましょう。」
「これがほしい」「これはダメ!!」「これがいい!!」「これは絶対ダメ!!」
結局、すぐにふたりともグダグダに泣き始めました。
そして、別々な部屋 に行って遊ぶことになりました。お預かりしているBちゃんを膝に乗せ、気持ちが落ち着くのを待ちました。
涙がおさまると、Bちゃんは言いました。「Aちゃんはどこ行った?」
「あっちのお部屋で遊んでいるみたいよ」と伝えると、「なんで・・・?」と不安げに聞いてきます。
「なんでかな~、ちょっとケンカになっちゃったもんね。ちょっとだけ違うことして気分転換♪かな?」とおどけてみると、
「なんで・・・?」
小さな小さな体の中で、小さな小さな心が震えていました。
Bちゃんは、「自分」をはじめてよその子に伝えました。「これがいい!」
Aちゃんも、はじめて「自分」をBちゃんに押し付けました。「これはダメ!!」
いつも大人が入り込んで、うまく解決してくれていた。でも、今日は自分をぶつけあった。自分だけに感情があるんじゃない、自分に感情があるように、相手にも感情があるということを、お母さん以外の人で体験しました。心が震えます。
「なんで・・・?」「なんで・・・?」
違う部屋で遊んでいるAちゃんのところに顔を見せると、Aちゃんも気にしていたのか、グッと構えました。でも、次の瞬間、「これお池。落ちちゃダメ!」
Bちゃんは「え~お池だって~」ニヤニヤしながらお池のふちをかたどったブロックの上を歩き出しました。Aちゃんがわざとお池に落ちると、Bちゃんも続いてお池に落ちて、一緒に泳ぎ始めます。キャッキャキャッキャと声があがって、とても楽しそう。
言葉じゃない和解があって、AちゃんとBちゃんが、ちゃんと「おともだち」になって遊んでいる。
大人は言葉にしたがるかもしれない。この日の出来事も、ケンカしてしまったことに、まだまだ心を傷めているかもしれない。でも、あの二人の中で、何かが始まったことは確かだと思います。
相手に自分を差し出してみて、どこまで受け入れてもらえるんだろう、そして自分は相手をどこまで受け入れたいんだろう。そのとき何を思うんだろう。
泣いちゃうと可哀想だから・・・ちゃんと泣かせてみなきゃわからない。泣けば大人が解決してくれる。もちろん、乳児期はその助けが必要かもしれない。でも、子ども自身が冒険を始めようとしているその瞬間を、その芽を摘まないであげたいですよね。
――ヨーガ・スートラ Ⅰ-8
「基盤となる」実体がなく、単にことばだけを聞いて生ずる心象は、こどばによる錯覚である
――ヨーガ・スートラ Ⅰ-9
心の作用を止滅することが、ヨーガである
――ヨーガ・スートラ Ⅰ-2
そのとき、見る者「自己」は、それ本来の状態にとどまる
――ヨーガ・スートラ Ⅰ-3
その他のときは、「自己は」心のさまざまな作用に同化した形をとっている「ように見える」
――ヨーガ・スートラ Ⅰ-4
大人は、自分自身がいろんな経験を持っているから、合理的に解決しがちです。大人が子育ての上で発揮すべきところは、その合理さではなく冷静さかもしれません。感情に巻き込まれることなく、その事柄の真意を見ていてあげること。なかなか難しいんですけどね。
“ケンカ”という表層に見えている現象の奥に、“あの子ともっと近づきたい”が見えてくる。そのとき、きっと私たち大人の中にいる、素直な「私」が癒されることに気づけると思います。
今、この瞬間を、今日も大切に過ごせたらいいですよね!
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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子