スズメと宇宙とこころの話~「自然」なことと「不自然」なこと~
vol.28
と主人が指さした先に、まだくちばしが黄色い小さなスズメの赤ちゃんがいました。
昨日の嵐で、うちのベランダまで吹き飛ばされてしまったようです。しばらく様子を見ることになりましたが、これといって何も出来ず、飛べるようになるのかしら…なんて心配していたら、餌をくわえた親鳥がうちのベランダまでやってきたのです。
我が家は、都会のマンションが乱立する川沿いの100世帯以上あるマンションの一角です。この大空の下、そんなマンション群の、しかも中腹にある、こんな小さなベランダの隅に飛ばされたヒナを親鳥はちゃんと見つけられる…。宇宙の仕組みってなんて凄いんだろう…って驚きました。私なんて、公園でだって子ども見つけるの大変なのに。
毎日毎日餌を運んできていましたが、3日ほど経った朝、スズメの親子はいなくなっていました。
と木から何かがたくさん落ちてきました。何かしら?と思い近づいてみると、たくさんのコガネムシがお腹を上に向けて転がっていました。
娘と一緒に木の枝で、そのコガネムシ達をくるんっくるんっとひっくり返し、
「がんばれ~がんばれ~!」と腹ばいに戻してあげていました。すると次の瞬間、またまた突然すごい勢いで、何かが「シュンっ!!」とそのコガネムシをさらっていきました。スズメです。違う木の上から、他のスズメ達も地面に落ちたコガネムシを狙っていました。何羽も何羽もシュンっシュンっとコガネムシ目がけて飛んできます。あっという間の出来事でした。
私の中で一瞬のうちに、「まぁなんて残酷な。今救った命が奪われていく…。なんて子どもに説明すればいいんだろう…?」という思いがよぎりました。
でも、娘は私がそんな考えを巡らせてる間に「めしあがれ~!!」
と言ったんです。
…私は小さな頭と経験の中から、何かしらのこの世の説明をしようと躍起になっていたのに、娘はたった一言で、この世の仕組みを受け入れて表しているようで、なんだか恥ずかしいのと素晴らしいのと、得体の知れない気持ちになりました。
「めしあがれ~!」と言っておきながらも、まだ「がんばれ~がんばれ~!」と木の枝使ってコガネムシを助けてる娘は、とても無邪気に額に汗をかきながら、夏の日を生きていました。
幼子の心は、この世の必要・必然をいとも簡単に教えてくれる。
娘のあっけらかんとした「めしあがれ~」の一言に、宇宙の秩序のうえを右往左往する自分の心を知った気がしました。
「自然」なこと。
「不自然」なこと。
私の心は、娘の言葉よりも不自然だったような気がします。なぜなら、否定しようもないくらいに「めしあがれ~」という言葉には純粋性しかなかったから。
でもね。先日そんな話を六年生になった娘にしたんです。
「がんばれ~って言いながら助けてあげていたコガネムシがね、シュンッとスズメに一瞬でかっさらわれていったのね…」と言うやいなや、
「サイテーっ!!!」って、間髪入れずに言ってきたんです。なんだかおかしくって。でも、それが人なんだ、生きてるってことなんだとも思えて愛おしくなりました。ここからどんどん経験して、自分の心に振り回されて、自分自身の良い悪いに出会っていくんでしょうね。
「天は雨を雑草の上にも、稲の上にも降らす。天には 人心 はないからだ」
と二宮尊徳はいいました。
そしてこの雑草を除き、稲が育つように手を貸すのが 人道 であるといいました。
宇宙の秩序。働くこころ。そしてどう動いていくのか。「私」は何をするのか。
色んな経験があって、導かれた今がある。大人になった私がいる。そして大人になってまた、「めしあがれ~」という無邪気さに出会い、ハッとしてグッとくるんだろうと思います。
また、何年後かに、娘にこの話をするのが楽しみだし、もしかしたら、違う誰かの「無邪気」に娘が宇宙を知ることとなるのかもしれません。
生きるって面白いですよね。
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文 ヨガインストラクター ミヅホ/編集 七戸 綾子