カンボジアでよみがえった「手の記憶」
辺りを見回すと、他にも多くの女性達が働いています。蚕の繭を煮て生糸を引き出したり、糸車を回したりと、みんなてきぱきと手を動かしています。だけど、その表情はゆるやかで、どこかのんびりとした空気が流れています。時折、仕事の手を休めて、赤ちゃんが寝ているゆりかごを揺らす光景は、実にほのぼのとしています。この村の人口は150人ほど、その3分の1が子どもたちです。
と、語るのは、この村を作った森本喜久男さんです。“作った”というのは、決して比喩ではありません。十数年前まで、ここは人が住むことのない荒れ地でした。その地に、森本さんは、自ら鍬を入れ木々を植え、家を建てました。その目的はただ一つ、クメールシルクと呼ばれるカンボジア古来の絹織物を復興するため。
京都で友禅染の職人をしていた森本さんは、数十年前、タイに赴き難民キャンプのボランティアとして働きました。その後、現地の人々が織物で暮らしていくためのプロジェクトにかかわることに。そして、ユネスコの依頼を受けて、まだ内戦の戦火が消えないカンボジアへ赴きました。そのミッションはカンボジアの伝統的な織物の調査。そこで森本さんが出会ったのがクメールシルクなのです。森本さんはそのシルクの美しさに心を奪われました。そして、同時に心を痛めました。戦乱とその後の混乱によって農村は廃れ、絹織物の伝統が断たれようとしていたからです。かつて世界最高峰と称されたシルクがこの世から消え去ろうとしていたのです。
シルク(絹布)は生糸から織り上げられますが、生糸の生産には蚕の糧となる桑が必要です。そして、桑を育てるためには、豊かな土地が欠かせません。
「いい布はいい土から作られるんです。クメールシルクを取り戻すためには、それを生み出していた森、そして伝統を育む村が必要でした」
森本さんは5ヘクタール、そして徐々に買い足して東京ドーム5個分もの広大な土地を手に入れました。そして現地の仲間とともに土地を耕しました。赤土の中から、ロケット弾の不発弾が出てきたことも。やがて、森本さんの熱意に打たれて、人々がこの地に移り住みました。村長のもとで自治を始め、小学校も建てました。最初は、森本さんの計画を耳にして、夢物語と笑う者もいました。しかし、今では豊かな緑が生い茂り、人々の息吹が感じられる活気のある村になったのです。
「この村で子どもの泣き声を耳にすることはありません。泣く前に、お母さんが仕事の手をやすめてあやしますから」
この村の見学は自由です。(商業施設ではなく「村」ですので、できるかぎり事前の申し込みをした方がいいでしょう。)そして、希望すればゲストハウスに滞在して、村の暮らしに触れることもできます。ぜひ古き良きカンボジアの空気を感じて下さい。きっと、そこには私たちが忘れてしまった何かがあることでしょう。
写真/ 文 美濃部 孝