カンボジアを訪れたら、ぜひ立ち寄ってもらいたい場所があります。世界遺産で有名なアンコール・ワットから、カンボジア特有の赤土の道をクルマで揺られて1時間ほど。道行く水牛を連れた牧童やトゥクトゥク(東南アジア特有の三輪タクシー。カンボジア庶民の足)に乗った家族に手を振りながら、のどかな田園風景を眺めていると、やがて小さな村にたどり着きます。

青空高く茂ったバナナやヤシの木々の周りでは幼い子どもたちが笑いながら走り回り、あちらこちらでニワトリが忙しそうにエサをついばんでいます。そんなにぎやかな様子をよそに、イヌと牛は木陰でうたた寝。耳を澄ますと、カタンカタンというリズミカルな音が。その音に導かれて、高床式の家の階下へ行くと、女性が布を織っていました。機を織るたびに、見事な絣布(かすりぬの) が生まれていきます。
辺りを見回すと、他にも多くの女性達が働いています。蚕の繭を煮て生糸を引き出したり、糸車を回したりと、みんなてきぱきと手を動かしています。だけど、その表情はゆるやかで、どこかのんびりとした空気が流れています。時折、仕事の手を休めて、赤ちゃんが寝ているゆりかごを揺らす光景は、実にほのぼのとしています。この村の人口は150人ほど、その3分の1が子どもたちです。

「これがカンボジアの昔ながらの農村の姿です。お母さんは子どもと一緒なので安心して働くことができます。そして子どもたちはお母さんが機を織るのを見て、自然とその技術を覚えていく。何世代にもわたり受け継がれる伝統。私はそれを『手の記憶』と呼んでいます」
と、語るのは、この村を作った森本喜久男さんです。“作った”というのは、決して比喩ではありません。十数年前まで、ここは人が住むことのない荒れ地でした。その地に、森本さんは、自ら鍬を入れ木々を植え、家を建てました。その目的はただ一つ、クメールシルクと呼ばれるカンボジア古来の絹織物を復興するため。

京都で友禅染の職人をしていた森本さんは、数十年前、タイに赴き難民キャンプのボランティアとして働きました。その後、現地の人々が織物で暮らしていくためのプロジェクトにかかわることに。そして、ユネスコの依頼を受けて、まだ内戦の戦火が消えないカンボジアへ赴きました。そのミッションはカンボジアの伝統的な織物の調査。そこで森本さんが出会ったのがクメールシルクなのです。森本さんはそのシルクの美しさに心を奪われました。そして、同時に心を痛めました。戦乱とその後の混乱によって農村は廃れ、絹織物の伝統が断たれようとしていたからです。かつて世界最高峰と称されたシルクがこの世から消え去ろうとしていたのです。

森本さんはクメールシルクを再興するための“森”を作ろうと思い立ちました。
シルク(絹布)は生糸から織り上げられますが、生糸の生産には蚕の糧となる桑が必要です。そして、桑を育てるためには、豊かな土地が欠かせません。
「いい布はいい土から作られるんです。クメールシルクを取り戻すためには、それを生み出していた森、そして伝統を育む村が必要でした」
森本さんは5ヘクタール、そして徐々に買い足して東京ドーム5個分もの広大な土地を手に入れました。そして現地の仲間とともに土地を耕しました。赤土の中から、ロケット弾の不発弾が出てきたことも。やがて、森本さんの熱意に打たれて、人々がこの地に移り住みました。村長のもとで自治を始め、小学校も建てました。最初は、森本さんの計画を耳にして、夢物語と笑う者もいました。しかし、今では豊かな緑が生い茂り、人々の息吹が感じられる活気のある村になったのです。

村では、桑の木はもちろん、インディアン・アーモンドやベニノキなど染色の材料になる植物もすべて、自分たちで育てています。機織りの機械も、村の男性による手作り。絹作りに必要なものは、すべてこの村にあるのです。まさしくサステナブルな社会といっていいでしょう。
「この村で子どもの泣き声を耳にすることはありません。泣く前に、お母さんが仕事の手をやすめてあやしますから」
この村の見学は自由です。(商業施設ではなく「村」ですので、できるかぎり事前の申し込みをした方がいいでしょう。)そして、希望すればゲストハウスに滞在して、村の暮らしに触れることもできます。ぜひ古き良きカンボジアの空気を感じて下さい。きっと、そこには私たちが忘れてしまった何かがあることでしょう。

写真/ 文 美濃部 孝