たくさんのモノと情報に溢れる今は「引き算」の美学というものに注目が集まりがちですが、私たち日本人の美点には、先人の知恵や文化に今を重ね、まわりの人々と和を結ぶ、「足し算」の物語があって日々豊かに過ごしていることも忘れたくありません。今回のコラムでは、そうした「+」から紡ぎだされたストーリーを3回にわたってご紹介します。
 第2話は、ある赤ちゃんのシアワセを願った“千人針”のこと。あたらしい家族のカタチ、見守る人々の愛情を、ちいさな赤い玉留めが教えてくれました。

【+story 02】ちいさな命のお守り:千人針のこと

 はじまりは、ちいさな奇跡の出会い。写真家の大沼ショージさんとデザイナーのセキユリヲさんは、同じ生年月日。同じ日に別の場所で生まれ落ちた2人が大人になり、同じビルの中で働くという巡りあわせた。そんな出会いをことほぎ、2010年の40歳のときから誕生日に発行してきたのが小冊子「19701221」(ジャンルは、パンクな少年少女に捧げる手芸世界とか)。昨年、記念すべき5号目となったこの小冊子のテーマは「あたらしい家族のカタチ」。表紙には、大人たちの真ん中に、赤い刺繍の衣をまとった小さな人が、こぶしをグーに元気よく泣いていた。

 2014年の夏、セキさんご夫婦のもとに、養子縁組でひとりの愛らしい女の赤ちゃんがやってきたのだ。まわりの友人たちにとってもそれはビックニュースで、「その子のために何かしてあげたくって、それで思いついたのが千人針だった」と大沼さんが振り返る。
 “千人針”とは、昔むかし、戦争に行く人のための「命のお守り」みたいもの。たくさんの人の「健やかに育ってほしい」という合力祈願にすれば、きっと赤ちゃんのお守りにふさわしいものになるはず。そんな思いから、「19701221」で赤ちゃんのための千人針を企画。身につけやすく、よだれかけに仕立てられるように、白い晒に、千の玉留めでピース(平和)マークの絵柄になるように、大沼さんとセキさん2人あわせて千針をめざした。

 「これに、玉留めをしてくれませんか?」そんなふうに、出かける先々で、会う人ごとに「ひと針」をもとめる日々は3ヶ月ほど続いたそう。
 ひと針お願いするたびに、今回の趣旨を伝え、ことばを交わす。そうしたやりとり中から、じんわり慈愛が広がっていった。針なんて持ったことがないような男性も、やり方を奥さんやまわりの女の人が教えてもらいながら、手慣れないなりに結んでくれる様子は、ほほえましく。そうした時間の共有がほのぼのと愛おしかったと、ふたりは振り返る。
 「だれひとり、断る人はいなかった。千人針を知らない若い人たちも、ぶきような人も、はじめて逢った人も。みんな一生懸命やってくれて、涙する人もいたり。すごく共感してくれた想いが伝わってきました」と。

 欧米や北欧では、養子縁組のシステムは家族のひとつのかたちとしてごく普通に認知されているが、日本ではまだまだ特別なものと思われがち。だから、養子縁組というシステムを身近に知ってもらうきっかけにつながればいいなと、そんな思いも大沼さんはひそかに胸に抱いていたそう。
 「赤ちゃんが授からずに悩んでいる夫婦やカップル、そして望まずして赤ちゃんを産んだ女性たちにとって、ひとつ選択肢になればいいし、なにより養子になった赤ちゃんが、哀しい偏見や差別をうけることなく育ってほしい。両親にとってはもちろんだけど、赤ちゃんは、まわりにいるみんなの宝物だと思うから」。家族や仲間、ご近所の人、なじみの店の人、すぐそばに、その子の味方がいるという希望。そんな空気をつくるための、ささやかな行動だ。 

 途中大沼さんは南米の取材旅行へも持参。「通訳さんに訳してもらった英語を棒読みで、たどたどしく、ほうぼうで笑いをとりながら」南米ペルーの人たちの玉留めも加わった。また寅年の人は「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えから、12針玉留めしてもらえる特例があり、最後の方はずいぶん寅年の人を探したそう。
 そんな年齢も国籍もさまざまな人のエピソード満載で、完成した千人針のよだれかけが、上の写真。じつに表情豊かな、赤い玉留めがいーーっぱい! 几帳面な玉、ぴょんと飛び出した玉、ゴロっとはみだした玉もあり、たくさんの人の息づかいが生き生きと感じられる。「うれしかったですよ。たぶん、糸を“結ぶ”という行為は、愛情を込めるのにとても合っているんだと思う」と、赤ちゃんのお母さんでもあるセキさんがいう。

 世界にたったひとつの、かわいく、やさしい、シアワセの赤い玉留め。あなたのココロにも、ムスンデ、トドメテ。

取材・構成 おおいしれいこ/ 写真 大沼ショージ/ 協力「19701221」