肌が驚きの美しさ、との噂通り、「すっぴん美人」そのままに現れた南沢典子さん。そのうえとても明るくてチャーミング。時々脱線する彼女のおしゃべりを、飄々とした面持ちで軌道修正しながらも、隣で暖かく見守るのは、松本毅史さん。素材にこだわった“美を養う”基礎化粧品を提案している「あきゅらいず美養品」を立ち上げ、公私共にベストパートナーの2人。そんな彼らにとっての“旅のはじまり”とは?

一瞬にして2人を結びつけた、運命のインスピレーション

2人の出会いは13年ほど前のこと。南沢さんはとある会社の新規事業として立ち上げられた、化粧品の企画室「アキュライズ」の募集でその会社に就職した。それまで15年間化粧品会社に務めながら、化粧品の本質についてどこか疑問に感じていたことを解消するいちるの 望みをかけて、化粧品会社とは本来無縁だった“新規事業”である化粧品企画室のドアをたたいたのだ。

しかし、入ったものの、やはり化粧品会社とは無縁だっただけに、まるで何もない状態だったという。そこから少しずつ、自身の経験を活かしつつも南沢さんならではの発想で新規事業を進めていった。

ある日、“テプラしか打ったことがなかった”南沢さんに、「ホームページを作ってくれ」と、社長から鶴の一声が下る。パソコンに向き合って格闘すること数日間……、やはりここは専門家に依頼するほうが早いだろうということになったという。そこに現れたのが、当時就職浪人中の松本毅史さんだった。

松本さんは学生のときにベンチャー企業を起こし、当時としてはFacebookに匹敵するようなコミュニティサイトを立ち上げていた。しかし、ベンチャー企業を立ち上げた仲間は就職し、松本さんはいわば取り残される形で「プー太郎」となってしまった。就職浪人中のバイトとしてシステム製作を行っていた中で、南沢さんと出会った。

2人の第一印象は、
南沢さんは松本さんのことを「ダイヤモンドの原石!」
松本さんは南沢さんのことを「なんて透明感のある人!」
と思ったそう。

少し恥ずかしくなってしまうほど、ロマンチックなフレーズ!

松本さんは自他ともに認める“人見知り”でベンチャー企業を立ち上げるほどの企画力はあっても、あまり前に出るタイプではなく、本人曰く「営業が得意ではない」。一方、 南沢さんは外交的なタイプで、概念にとらわれず実行していく。15年間化粧品会社に務めていた時も、「メイクだけではなくファッションの勉強もしたいから、海外にいく」ために仕事をかけ持ちもした(もちろん会社員なのでそれはタブーなこと)。しかもお金が溜まり、半年間の渡欧を決めたのも、1週間前だった。等々多くの逸話を持っている。

ただでもらった会社は、大きな大きなおまけ付きだった

そんな運命の出会いから程なくして、会社は事業から撤退することになってしまった。つまり、畑の違う会社が試みた新規事業がうまくいかなかったのだ。
しかしながら、このとき2人がとった行動は、なんと「事業を買い取る」だった。
「買い取ったというより、社長に『あげる』と言われたんです」。

ところが、「ただ」でもらった会社には、未納の税金があることが発覚。しかもその額800万円以上……。そのときの2人は? というと「笑ってましたねぇ」と、松本さんも南沢さんも、実にあっけらかんとした表情で言う。「ただ笑うしかなくて。いろいろなことを考える余裕などなかったけれど、お金はないけど生きてるねって」。そう、言わば青天の霹靂とも言うべき思わぬ借金に、正面から立ち向かった。
「とりあえず、ドンキホーテに自転車を買いにいきました」

意図せずして負債を請け負う形になったにもかかわらず、「アキュライズ」の名をひらがなに換えて再スタートを切った2人。なぜそこまでしてこの名を残したのかというと、せっかくついてくれた顧客に「迷惑をかけたくなかった」から。

2人が発信したことを、求める人、認めてくれる人、理解してくれる人がいた。
南沢さんが今までの化粧品の概念に疑問を持ち、「アキュイライズ」で本当に発信したかったこと。美しい肌は、高い化粧品をたくさん使うことでもなく、メイクでカバーするのでもなく、きちんとした生活習慣があってこそ生まれる。それが前提にあったうえで必要になるのが基礎化粧品だということ。

そんな思いがこめられた名前は、老若男女がすべてわかるひらがなで、“原点回帰”の意味をもつ「あ」から始まるこの名前で原点に立ち返り、さらに美を養う化粧品として「あきゅらいず美養品」を発信することに決めた。

もし1人だったら、うまくいってもいかなくても辞めていた

独立した当時、南沢さんは離婚して2歳と4歳のお子さんを抱えていた。「子供たちは保育園と会社で育ちました。だから、みんなに育ててもらいました」。

収入がすべて借金に消えていく中、松本さんは昼にあきゅらいずの仕事をし、夜は別にウェブデザインのバイトをした。そのバイト代で最初に買ってきたのが“炊飯器”だったと、2人は懐かしそうに振り返る。「ご飯は土鍋で炊いていたし、本当に一番必要なものだったかは別だけど。お金ってなきゃないで、幸せなんです」。

2人の役割はずっと変わらない。松本さんはフレームを作る。でもその中を埋めるのは南沢さん。最も象徴的なのが、2003年から10年間続けたあきゅ便り。会員顧客とのコミュニケーションツールとして発行したものだ。松本さんがフレームとなる構成を考え、南沢さんが文とイラストを書く。あきゅらいずが伝えたいこと、コンセプトをさまざまな角度から表現していった。

きれいな肌は食生活や毎日の暮らしがあってこそ作られる。それを怠って化粧品を使っても意味がない。

そもそもあきゅらいず美養品は、コンセプトありきの会社だ。商品はそれを伝えるためのもの。つまり、商品を買ってもらうためにコンセプトがあるのではない。だから、顧客とも対等であるべきだという考え。商品を売るのが目的になると、顧客に迎合することになってしまう。でも実際は、迎合するほうが楽なのである。

程なくして、税金もきっちりと完済。テレビの通販番組出演をきっかけに、会社が急成長を遂げた。最初は4名のスタッフからはじまって、社員数も今では70名に。新卒採用試験に約1200名の学生が集まるほどになった。

改めて振り返ると「2人だったからやれた」という。「もし1人だったら、うまくいってもいかなくても、辞めていた。うまくいった後に、同じ価値観を共有できる相手がいたからこそ、やれた」と。成功して、積み重ねるといつ失うかという恐怖も出てくる。「失うことが怖くなると、人はチャレンジしなくなるもの」。

急成長した会社の計画に追われていたら、いつのまにかダサい自分になっていた

会社が急成長を遂げ、拡大していくにつれて、次第にゆがみが生じていった。会社の成長は数字に表れる。次第に、数字の比重が客を追い越してしまった。

確かに設立当初は高いモチベーションで、十年後のビジョンを掲げて頑張ってきた。そのモチベーションを維持すべく、やる気のない社員を鼓舞した。自分も率先してやる気を見せた。注意して、叱って、チェックする。

打ち合わせの数は1ヶ月に100以上。自分たちの暮らしなどお構いなしで、疲れきって顔すらもゆがんできてしまった。「計画を実行するために毎日辛くて、疲れていて。ある日ふと、典型的なサラリーマンのような自分が、すごくダサいなって」と松本さん。
そこで2人は原点に立ち返ることにした。
お金はなかったけど、幸せだったあのとき。
本当にやりたいことって? 

2007年、次年度の目標を掲げ、通常なら社員を鼓舞するいわば決起集会のようなミーティング。でもこの年の社長からのメッセージは「楽しくよろしく。以上」。
それまでの歴史を覆すほどの、衝撃的なミーティング。その結果、理解できずに辞めた社員もいた。当然売上げも伸びなくなった。

「それからは苦行でした」。言いたいことも、気になることも一切言わず、任せることに徹したのだという。数字だって社員自身が上げたくなったら、上げればいい。3年半経った今も、「そのまま放ってある」。つまり、言われてやるのではなく、好奇心からくる自発的な創造力を見守っている。

原点に戻って、また新たに2人で始めたこと

昨年の10月に2人は一線から退き、松本さんは会社の相談役、南沢さんは会長となった。そして、早くも次なるプロジェクトに胸をときめかせている。

社員の義理の父親が“屋久島大屋根の会”をやっていることが縁となり、屋久島の地杉を使うプロジェクトをスタートさせた。地杉は硬くて木材としての扱いが難しく、伐採が進まない。それによって森は老朽化し、深刻な環境問題になっている。2人が出会った東大の香りの先生に、屋久島の地杉のもつアロマ効果を教わり、そのエキスを商品化することにした。さらには、そのアロマを使うスパも、地杉で建設中だ。

「目的地までは決めるけれど、そこに行くまでのプランは、立てすぎないことにしました」
道に迷っても、2人なら目的地に必ず辿り着ける。そして失敗したら、一緒に原点に戻ればいい。ゼロに戻るだけ。やり直せばいい。何度でも。

写真 野頭尚子 /文 横山直美