9.11 はじめの一歩

 スタジオ・ヨギーの創業も結婚したのも29歳。今思えば、当時の私には夢しかなかったと思います。でも、あのときNYで一歩を踏み出して本当によかった。自分で選択した道を歩み始めたという意味でも、人生という旅のはじまりでしたね。

 もちろん創業までにも、いくつか転機はありました。アメリカ横断旅行の最後にNYのエンパイアステートビルに上り、この街に住もうと決めたのが20歳のとき。それから日本で映画の配給会社に就職して貴重な社会人経験をした20代前半。「いずれ海外に出たいなら26歳までに出たほうがいい」という沢木耕太郎さんの言葉に感化されて、27歳になる約2週間前、なんとか26歳のうちにNYへ飛びました。偶然にも9.11の同時多発テロと同じ日でした。

ニューヨークという価値観

 街がいちばん元気のない時期にNYへ渡ったことは、振り返ってみれば私にとって必然だったような気さえします。それは、観光客もおらず通信状況も悪いなかで自分と充分に向き合えたから。そして、祈りや瞑想など精神面を重視したヨガに出合えたことも幸運でした。テロで傷ついた人たちの心が癒されていくのを目の当たりにし、ヨガはスピリチュアルなものだということを私自身もはっきり実感できました。“ヨガスタジオ=喧騒の街にある静かな聖域”というインスピレーションは、スタジオ・ヨギーの原点になっています。

 誰も知らない街で暮らし始めた私は、将来に対する不安と期待の間を漂いながら貪欲に勉強しました。大学付属の英語学校、ビジネスプレゼンテーションの夏期講習、映画ビジネスの社会人コース……と同時に、レストランで美味しいものを食べたりショーを見たり。とにかく1年間で吸収できるだけ吸収したら仕事をしよう。1年間好きなことだけをしたら、次にどういう仕事がしたいかわかるかなと。

 結局、その1年で得たものは、NYのスピリットみたいなものだったと思います。NYには、さまざまな人種や宗教、古いものと新しいものが混在していて、選択肢がたくさんあります。常に自分がどうしたいのかを問われ、何をしていてもジャッジされない代わりに、自分を持っていないと楽しめない街です。そんななかで、みんなが多様性を認めて自分らしく生きている。一人ひとりが自由だからこそ、人とのつながりを大切にしている……。

 そうしたNYの空気に触れるうちに、1年経ったら日本に帰るという計画はいつの間にか消えていました。この街に息づいている価値観、考え方、幸福感を日本に向けて発信したい。人それぞれのよさが活かされる世の中にしたい。理想に過ぎないと笑われても理想を追いかける仕事をするんだと、夢でいっぱいになっていました。

スタジオ・ヨギーのはじまり

 それから約2年。「お金だけのために仕事をしない」をモットーに、自分の興味の赴くまま、続くあてのない仕事をたくさんしました。ギャラリーでの日本人作家の紹介、雑誌のコーディネーション、頼まれてもいない企画を出版社に送っては却下されることの繰り返し。ヨガウェアを仕入れてスーツケースに詰め、行商人のように日本の代理店を探し歩いたこともあります。日本ではずっと自由になりたいと願っていたのに、いざすべてを決められる自由を手に入れてみたらすごく苦しくて。でも、どこかでなんとかなるとも思っていました。失敗してもやり直せばいいやと。昔から楽観的なんでしょうね。

 流れが変わったのは、やはり人との出会いからでした。仕事がなかなか実を結ばなくても、とにかく人とはたくさん会い、いつもNYやヨガについて熱く語っていました。そのうちに「一緒にやろう」と手を挙げてくれた方がひとり、またひとり……少しずつ人の輪がつながって。スタジオ・ヨギーが生まれ育ったのは、すべて人のおかげです。

 日本でスタジオのオープン準備が進む一方、私はNYへ戻りました。この人ならと思うヨガの先生をみつけてはカフェで待ち合わせ、何度でも夢を語りました。ヤスシさん(現エゼクティブ・ディレクター)と出会ったのもその頃です。最初は、交渉するといっても日本にはスタジオもなく、当然、何の実績もありません。情熱とトークだけ。何も資料がないから、ヨギーのロゴマークを見せて「すごく気に入ってるんです」なんて言っていました。夢しかなかったからこそ、そこに共感してつながってくれた人たちとは今でもよい関係が続いています。

 当時は私のお給料もほとんど家賃に消えていくような生活でしたが、この178ウェストハウストンの部屋で業務に明け暮れていた日々は忘れられません。夜11時半ごろ日本とのスカイプ会議が終わると、屋上に上がってエンパイアステートビルを眺めるのが私の日課でした。12時になって灯りが消えるのを見届けたら、「今日も一日終了。おやすみなさい」と一日を締めくくる。毎晩、大好きなエンパイアを見ながら、自分の想いを確かめていたのかもしれません。

本来あるよさに目を向け、尊重する

 今年、スタジオ・ヨギーは10周年を迎えることができました。オープンして初めてのクラスに集まってくださった方は10名足らず。そこから全国にスタジオが誕生し、思い描いていた以上の出会いに恵まれました。たくさんの物を売るのではなく、たくさんの人が自分のよさを発揮してくれたおかげです。スタッフやインストラクターという肩書きが何であれ、本当にみんな人としてすばらしいものを持っていますよね。

 もし私に能力があったとしたら、人のよいところを見るのが得意だということでしょうか。あまり苦手な人がいないというか、その人ならではの持ち味や光っている部分をみつけて「力を貸してください」とお願いします。意外な人が面白い知識やアイディアを持っていたり、おとなしくて控えめな人がインストラクターになって華やかに変わったり、そうした姿を何度も見てきたからこそ、まだ発揮されていない才能をみつけて活躍の場を提供することに喜びを感じます。

 「本来あるよさに目を向け、尊重する」という企業理念も、根底にあるのは人と人をつなぐ喜びです。みんなが笑顔になるような、人と人との懸け橋になるのが好きなんです。笑顔のパワーは大きいですよね。私は毎日笑うために生きているようなところもあって、経営会議でもしょっちゅう爆笑していますし、人と楽しく話している時間が大好きです。仕事とプライベートの境目がないくらい、いろいろな人と本気で笑い合える関係を大切にしています。

 もちろん誰でもポジティブとネガティブの両面を持っています。物事のすべてがそうです。でも、そこでネガティブな面に反応していくのではなく、ポジティブな面に目を向けて生きていくことを選択したいのです。人それぞれのよさが活かされれば世界はよりよくなっていく。個人の幸せが家族の幸せにつながり、会社、業界、社会、国、そして世界へとすべてつながって循環していく。あまりに大げさで美しすぎる理想かもしれませんが、私は本当にそう思っています。

ずっと伝えたかったのは“アート・オブ・リビング”

 私の場合は、NYで一歩を踏み出したことから人とつながり、自分の人生が本格的にはじまりました。「今はこれをしておいて、いつか別のことを本気でする」という生き方もありますが、それには意志の力がものすごく必要で私には難しかった。私は“You are what you do”つまり、今していることが自分自身なんだという考え方が好きです。やりたいことがあるなら、本気を先延ばしにしない。現在と未来、仕事と人生を分けないで、こじつけるぐらいの強い勢いでなんとかつなげようとしていく。それが一歩を踏み出すことにつながるんじゃないかなと思います。

 また、そんなふうに日々を現在進行形で生きていくとき、生活はアートだといえるのではないでしょうか。美術館で鑑賞する芸術作品だけがアートではなく、かけがえのない美の表現がアートです。誰もが自分にしか生きられない人生を生きているという意味では一人ひとりがアーティストで、それぞれの人生が大切な作品です。

 私が10年前から伝えようとしてきた価値観は、今ひとことで表現するなら“アート・オブ・リビング”。NYやヨガという枠を超えて「今この瞬間を大切に生きる」という、とてもシンプルでストレートなメッセージだったのだと思います。もし夢に向かってなかなか一歩を踏み出せない人がいたら、本当にもったいない。たった今この瞬間にも、誰かの人生の旅がはじまりますように。

Photo by Miho Aikawa / 文 古金谷 あゆみ