次へ進む前に膝をゆるめて。低い姿勢から高くジャンプできるから
島の恵みが授けてくれた『石垣島ラー油』と結婚10 年目の子ペンギン
「だって東京なら絶対できなかった。格安でお店が開けて、ボクらはすごくラッキーだと思ってましたから」と当時を思い出し、またまたニコニコ顔の暁峰さん。
やがて島の食材をアレンジした料理と『石ラー』の独自のおいしさが客足を誘い、店が順調に歩み出した3年目、なんと夫婦は子どもを授かった。結婚10 年目、愛理さん42歳の初産である。
大切なことに集中。手放すことで手にした健やかな日々
そんなタオくん、じつは8ヶ月目の早産で、わずか1キロで生まれた超未熟児だったという。生まれてすぐは何度も心臓がとまりそうになり、小さな体に何本もの管を刺された姿に、親となった辺銀さんたちは身をよじる思いで神様に祈ったという。両親の腕で育てられるまで、生後2ヶ月半も集中治療室にいたそう。
そうして子どもを着実に育てるために、仕事はラー油の製作だけ、店は1年育休にしようと夫婦は決意。雑誌やテレビに注目されてきた時期だけに、その休業を惜しむ声も多かったとか。
「もちろんラー油だけをつくって、食べていける見通しなんて全然なかったよ。でも仕事以上に子どもの“命”だったから」と言う暁峰さんに、愛理さんがうんと頷く。
「島の暮らしに慣れてきた頃に、さらに40代ではじめての子育てが未熟児。20代ならすぐに慣れることができたんだろうけれど、新しい環境と価値観へ自分を変えるのに、結局4年かかってしまった。でも大切なことに、じっくり時間をかけて集中できたから、ラー油も子どもも大きく成長できたって、今はそう思えますね」
いっぽう、片手にのるくらい小さく生まれたタオくんもまた、手をかえ品をかえて島の恵みを食べさせ体を育て、みごと健康優良児へ。もちろん体だけでなく心育ても。「どうしても甘くなる」と言いながら、べったりした過保護ではなく。シンプルに「生きる力」を軸にした、辺銀家流の子育ては、親子の距離のとり方にもユニークにあらわれている。
たとえば商談などの用ができれば、赤ちゃんの頃から預けている島のねぇねぇやおばぁにタオくんを託し、夫婦はひょいっと出張へ出かけてしまうことは常なのだ。
「あえて、離そうとしてきたところがあるかな。年をとってからの子どもだから、親がいなくちゃダメな子に育てないように。親に代わる誰かいれば大丈夫なくらい、依存しない人間に育てなくっちゃと思ってきましたね」
そんな夫婦もとで成長しているタオくんは、小学校5年生のこの夏休み、親元を離れてNYの子どもキャンプにひとりで参加して過ごしてきたというから、すでに両親の自活精神をしっかり受け継いでいる。タオくんの将来に言及してみると、「日本人でも中国人でもアメリカ人でも。国籍はどこでもいいよ。だってみんな地球人だもの」そう言って、夫婦は100%の笑顔を向ける。
次なるステップのために。リラックス&ジャンプ
「うちは私がオジさんで、夫はオバさんって言われてる(笑)。私が遠くまでみて方向を定め、その目標を目指そうと導き、夫はその目標まで、できるなら清潔なソックスにスニーカーを履いて行こうと、身近なこまごまとしたことを決めていく。そんなふうにうまく担当分けができているの」
それにどんな窮地にたっても、ため息はしても、絶望はしない。過去を悔やむより、「今、このとき」を大切にすること。たぶん、それが辺銀さん夫婦の最大の能力なのかもしれない。
もちろん島の自然とともにある生活の恩恵はあれど、あわただしい日常に追われゆく時間はまた別にある。子どものため、みんなのために、自分を脇役にしがち。だから、辺銀さんたちはそれぞれのやり方で自分の心を主役にする時間を大切にしている。
もともと中国では世界的な映画監督チャン・イーモーのもとでスチールカメラマンとして青年時代を送り、結婚後は東京でカメラマンとして活躍していた暁峰さんにとって、ライカのカメラは自分の感性を表現してくれる相棒である。
「旅のお供にも必ず1台持って行くし、古いカメラは使うことがメンテナンスになるから毎日触ってる。家族が寝静まった夜中にライカを磨きながら、ジーチャカ、ジーチャカというシャッター音を聞いるときが一番リラックスするんだよ」
とにかく「よく働き、よく休む」、そのライフスタイルの潔さったらない。迷いがないのは、その休息こそが自分たちの栄養になると、しっかり実感しているから。「仕事漬けの人には、休むのがコワイという人もいる。たぶんその人たちは、もう十分に水甕に水がたまっているのに、使いもせずに貯めつづけてあふれさせている感じなのかもしれないね」と愛理さん。それに、そうした休息は次のステップへ行くための一つのプロセスだとも。
「次のステップにすすむ前に、一度ゆるめて低い姿勢からジャンプするイメージをしているの。高くジャンプするためには、ゆるめなきゃ」
いつか子どもが巣立ったら、世界のいろんな大陸で暮らしてみたい―。大ジャンプの夢が辺銀さん夫婦の原動力なのかもしれない。
写真 垂見おじぃ健吾 / 文 おおいしれいこ