ジーコンボ
vol.6
初めて聞いたとき、おかしな名前だなあと思いました。
元々は、ジコンボと呼ばれていたそうです。
初めは、八世紀前後頃の海防を重視して駐留していた防人の墓と教えてもらいましたが、この防人の墓というのも、確定している説ではないそうです。
他にも、色々な説があって、その中でも可笑しかったのが、
島で、お爺さんのことをジイコー、お婆さんのことをバアコーと呼んでいて、ジイたち先祖が眠っている墓であるからジーコンボ(爺魂墓)と呼ぶようになったという説は、さすが見島、やるなあと思います。
その頃の日本人の身長からするとかなりの長身です。
民俗学者の宮本常一さんが昭和35年以来三年間、毎夏、山口県教育庁主催の総合調査の為に見島に渡っていたのですが、宮本さんも本でジーコンボの事にふれています。
「いったいこの島に人の住みついたのはいつ頃であったか。それはよくわからないけれども、今から千二、三百年前には既にかなり多くの、しかも生活力にみちみちた人たちが住んでいたようである。というのは島の南岸にある本村部落の東、ジコンボとよばれるところにおびただしい古墳があることから察せられる」と言っています。
こうみてくると、見島ってすごいじゃないか!と思うのですが、実際にジーコンボに行ってみると、すごく地味です。
ジーコンボの石を利用して防波堤を築いて沢山の古墳が壊されてしまったそうで、それでも約200基はあるというのですが、私は、3、4基しか見た事がありません。
ジーコンボが注目される事を、じーっと待っている私です。
写真&文 野頭尚子