今回は見島で気になったものを、いくつかピックアップしてみます。

これは日本三大正観音の一つである宇津観音にあるお賽銭箱。普通はそんなこと考えたことはありませんが、こんな可愛いお賽銭箱、盗まれやしないかと、初めて見た時、ものすごく心配になりました。そのくらい可愛いと思いました。しかも大きさも抱えること出来そうだし、人もいないので隙だらけです。
心配のあまり、旅館のお父さんに聞いたことがありますが、島なのでそういうことはないと言われました。島って、そんなものでしょうか?

中身のお賽銭が盗まれたことが、以前あったそうですが、あの子がやったと、実は皆が、知っていても問いつめないそうです。こういうことは本当に日本っぽいなあと思います。
しかも盗んだ子に対して、ただ、「可哀想に」としか思っていないのにも、驚きました。

これは、家の塀の上に植わっているさぼてんです。

初めて、これを見た時の衝撃は忘れられません。
等間隔で植わっていて、お茶目に感じました。
毎回見島に行くと、必ず、このさぼてんを確認せずにはいられません。

これは、かき氷屋さんのポスト。
定期的にペンキが塗られるので、風合いも毎回違うのですが、こちらも初めて見た時からの好きなものの一つです。

かなりマニアックですが、波切不動尊のお堂にノートがあって、そこにお願いをしたためるのですが、三十年前と同じノートがまだあり、まるで時が止まっているようでした。
内容は勉強が出来ます様になど、オーソドックスです。
上の写真は波切不動尊のお堂の中です、石が祀られています。

私は島をぐるぐるとバイクで回るのですが、特にヘルメットがないのに初めの時、驚きました。建設現場のヘルメットをお願いして借りています。自分で危険を防御です。
普通バイクに鍵をしますが、鍵もあまりする習慣がない様でした。
これも島効果でしょうか。
自分の姿が可笑しかったので、小さいカメラでぱちり。

見島牛です。

この連載も今回で12回目を無事に迎えました。
その中で何となくぼんやりと、見島に自分が惹かれる理由を考えてみました。
風景が宮本常一さんの撮影した昭和30年頃とあまり変わっていないところ、そして風景だけでなく、そこに住む人たちの行いに、自分の中の忘れ去られてきた気持ちがあって、お腹の辺りが温かくなるのを感じます。

自分が生まれ育った島でもないし、ルーツがある訳でもない場所が、懐かしかったりするのは、何処か自分の中にあるツボとリンクするのでしょう。

受け取る側の持つツボの様なものって一体何だろうと思います。
それは発信する方と受信する側、双方向で存在するもの。

人から他の島も撮影してみたら、と言われても、自分が積極的になれないのは、スタンプラリーのようなことはしたくないと思ったから。そんなふうに初めから感じていました。
そうして見島を掘り下げていくことにより、自分の惹かれるものを掘り下げられるような気がしたのです。これで、自分と向き合うことをしている気がします。

初めに、友だちから「なんにもない島ですよ」と言われ、「それいい」と思った通りで、でも「なんにもないけれど、いっぱいある」感じ。
目に見えない頼りないものも、しっかりと存在していると教えてくれた島です。
そんな島も、これから未来は変化していきそうな気配を感じます。でもこれからも見島を見ていくことを続けていこうと思っています。

この連載は一旦、ここでお休みします。
今まで読んで下さり、ありがとうございました!

写真&文 野頭尚子