鹿角に鮮やかな漁網の修理糸でつむぎだされる、美しいドリームキャッチャー模様のアクセサリー“OCICA”。2011年3月11日の震災後、宮城県石巻市・牡鹿半島のお母さんたちに仕事と交流の機会を生みだしてきた。5年がたとうとしている今年、お母さんたちやOCICAのプロジェクトはどんなふうに変化してきたのか、OCICAを立ち上げたつむぎや代表の友廣裕一さんにお話を聞いた。

お母さんたちに本業が戻ってきた

2014年の秋に、牧浜に牡蠣剥きの処理場が出来て、牡蠣養殖の仕事も本格的に再開しました。もともとお母さんたちは家業でやってたり、パートで働いていたので、シーズンになるとみんな牡蠣剥きに行く、という元々浜の習慣になっていたリズムが戻りはじめてきたんです。OCICAづくりが最盛期だったころは、12人くらいのお母さんが参加していたのが、いまではほぼ3人のお母さんたちでつくっています。

必要に応じてチームを結成したので、必要がなくなれば、解散するのが本来のかたちかもしれないな、とは思っていました。ところが、ご高齢でとか、もう養殖の仕事に戻らない、というお母さんが、OCICAづくりを続けたいということで、細く長く着実に続いていくかたちを模索しました。運営管理コストをミニマムにして、お母さんたちに担ってもらう仕事の範囲も広げることで、少人数で続けられる体制づくりをチャレンジ中です。

OCICAづくりを体験した方によって、取扱店が増えていった

ぼくたちの友人や知人、そしてメディアの方がお母さんたちの元に訪れてくれました。全部でおそらく1000人を超えていると思います。ほとんどの方はお母さんたちに習って、お茶っこでおしゃべりをして帰っていきました。そのひとたちがそれぞれの地元のカフェやショップで、このアクセサリーのことを伝えていってくれたんです。「売りたいってお店が決まりました」「つないでいいですか」って連絡がきて。みんなが勝手に営業してくれたんです。(笑) 熱を持って実際の体験を語りながら伝えてくれた。これまで販売してきたのべ100以上の場所はそんなふうに決まっていきました。

ニューヨークのグッゲンハイム美術館のミュージアムショップでも売ってたんですけど、それも人づてにつながった方から「この商品は絶対美術館で売ったほうがいい」って何回もかけあってくれたんですよ。みんながそういうふうに可愛がってくれる、当事者性を持ってくれる、おもしろいプロダクトだな、と思っています。

“ものをつくる”ことには、癒しの効果がある

ミサンガもそうなんですけど、“ものをつくる”ということには、癒しの効果があると思いました。時間をもてあましているとつらいことを考えてしまったりするけど、つくることで夢中になれる。そして、そのつくったものを、誰かが買ってくれたり、その対価として収入になったり、人が訪ねてきて「ありがとう」と言ってくれたり、そういうリアクションが、人が生きていく上ですごく大事なんだな、と感じました。

震災で、津波もあって、「あたしなんかが生きててよかったんだろうか」とネガティブなことを考えてしまう人もいた。いろんなボランティアのひとが来て、「あなたは大事ですよ」「生きててください」と何百回言ってくれても、ひとりから「ありがとう」とか「これ、かわいいですね」とか、言われる方が、希望や勇気につながっていったんだと思う。

与えることで与えられる。基本ああいう状況だと食べ物とかお金とか、支援というかたちで与えられることばかり。よかれと思ってやるんですけど、そればっかりだとけっきょく、与えられた側のひとたちは本当の意味での幸せとか、よろこびみたいなのを得られない。人ってほんとうは与えられるよりも与えることのほうが、本質的なよろこびにつながるんだなということを、お母さんたちを見ていて感じました。

OCICAを通じて友廣さんは、今この時代に必要とされる仕事のあり方や、生き方というのを、かたちにして示してくれた、と思いました。本業に戻ったお母さんたちも時折、OCICAづくりの場「牧浜 集会所」に顔を出して、お茶っこをしていくそうです。

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復興への願いを込めて「OCICA」を、スタジオ・ヨギー全店で限定販売します。
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取材・七戸 綾子