読者の方々から届いたインストラクターへの質問のなかから、特に多かったものをご紹介。あなたの「?」を「!」に変えます。


Question
ヨガはがんばり過ぎてはいけないと言いますが、がんばり過ぎないことと、自分に甘くなることとの見極めが難しいです。
クラスでもよく先生に、できるのに諦めてると言われ、そんなことないと思う反面、なんとなく後ろめたいのはやはり自分に甘いせいなのか?と思って悶々としたり。 すっきり納得できる落としどころってありますか?

Answer
yoga マレ先生

身も蓋もない答えですが、自分自身での“見極め”を信頼しましょう。

私は、「頑張る(時に過度でも)」ことも「甘んじる」ことも、自分の意志であるなら、存分に頑張って、存分に甘えたらいいと思っています。必要として起こった判断ならどちらも同等によいと思うのです。対して、「頑張らされる」「甘やかされる」という自分の意志でない場合は、どちらも違うなと思っています。

もう少し頑張れるのか、それとも甘えるのかの見極めは、自分自身しかできません。そして、適格な見極めをするために、自分の身体、心の内面を「知る」ことが大切ではないでしょうか? 解剖学で身体を知ることは、身体的なやり過ぎの判断に役立ちますし、哲学の修習や瞑想によって自分自身の内側に目を向けることは、自分にとって最も適切な判断をしたことに対して自信を持つ助けになると思いますよ。


yoga リー先生

ヨガを学んでいると、今に尽くすことの大切さを重んじるようになります。過去や、未来の全ては、コントロールできないけど、過去や、未来のプロセスとしての<今>に働きかけることは出来ます。

~できるだけを尽くして、結果を手放す~

上手くできないこともあるけど、間違っちゃうこともあるけど、精一杯生きることをヨガを通じて学んでいます。そして、同時に“調和=ちょうどいい感じ”のために尽くすことも大切です。諸行無常の今ですから、頑張りすぎてたら、手放し、委ねることに尽くし、頑張りが必要なら、出来るだけを尽くしていきたいと思っています。

ということは、自分の状態を分かることが大切になります。

私の著書『幸せとつながる言葉~インド・ヨガ賢人の心の教え~』でも紹介しているスワミ・ラーマの言葉に、
<誰も真のあなたの姿を知りません。誰にもあなたの全てを知ることはできません。ですから、決して人の言うことにふりまわされないこと。>
とあります。
先生からのアドバイスで、頑張ることの大切さを受け取ったら、自分なりのいい感じの頑張りで尽くしたらいかがでしょう?


yoga ヤスシ先生

これは文献からの教え「知足」の表現の一つのようですね? 知足とは、今の状態で足ることを知るという意味です。甘くなることでもなく、また向上心や規律を持たないことを意図しているわけでもありません。向上心や規律無しではヨガの勉強はおろか、生きることもできないでしょう。

さて向上心と頑張り過ぎの境目は……?

この境目の一つが「エゴ:自我意識」のレベルかもしれません。「こうありたい」と高い意識からの切望としての行動は、純度の高いエゴ。「こうならなければ」は、プロセスと結果をセットにして生まれる感情レベルのエゴとも捉えられます。これは「執着」という別の観点とも結びついています。自分にしか境目は分かりませんね。


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編集:竹内まり子