ヨガのクラスではじめや終わりに頭を下げるのは、先生への挨拶かな? と思っていたのですが、クラスの最後で「自分自身にお辞儀をする」、というようなインストラクターさんの言葉を聞くことが多く、どういう意味だろう? と不思議に思っていました。ヨガクラスで手を合わせたり、お辞儀をしたりする意味についてマサ先生に聞きました。

ヨガのクラスは一般的に合掌で始まり、合掌で終わります。ヨガでは、これをアンジャリ・ムドラー(Anjali Mudra)といいます。ムドラ―は、印相(ハンドジェスチャー)で様々な種類のものがあり、 アンジャリは「捧げる」という意味があります。ムドラーはアーサナ中にも行いますが、クラスの前後では合わせて目をつぶったり、お辞儀をする場合も多いですね。

目をつぶることで内観をうながすことにつながり、お辞儀は自分のなかにある、”本来あるべき姿”(本質)に敬意を表するため、とも言います。僕自身は、クラスで人と人とが向き合い、同じ時間を共有することへの、お互いへの敬意を表してお辞儀はしています。

ヨガをする理由は人によって様々ですが、本来ヨガの目的の一つには、「われわれの心と神の心を結合する」ということが説かれます。この場合の神というのは、”大いなる意識”といわれるもので、特定の神様、という意味ではありません。

両手のひらを重ね合わせることは、まさに「宇宙原理と個人の合一」を身体で表現することの一つです。

日常生活では忘れがちなことですが、日本人であれば神社で祈るときや感謝を相手に表現するとき、合掌することは日常的だと思います。ただその行為の意味深さを知らないと、手を合わせてもあまりパワーを感じないかもしれません。祈りを捧げるような時や気持ちが強いときほど、謙虚な気持ちを思い出し、思いを込めて手を合わせることもあるのではないでしょうか。

ヨガに限ったことではありませんが、そのように自身の行為や態度に意志を注ぎ込むと、エネルギーが高まります。言霊のようにムドラーにもエネルギーを注ぎ込めば、内的な心や魂に影響を与える行為になります。

クラス前は外的なこととのつながりで本来の心の状態を忘れがちになりやすいですが、クラス後に合掌するときは、より内的で平静な心の状態を感じるでしょう。外的なことも大切ですが、内的になることは、より本質的な自分とのつながりを感じやすくなりますね。

クラス後に手を合わせる行為は、自分自身の中にある本質に対して、さらには本質的な部分で同じである他者、社会、自然、宇宙原理など、根本的なつながりへの恩恵を表現する行為だと思います。

文 ヨガインストラクター マサ/編集 七戸 綾子