本村の吉祥寺というお寺のお堂の横に位牌堂と呼ばれる場所があります。
ここはどんなに夏の暑い日でも、ひんやりとしていて昼でも薄暗いトンネルのようです。

「子どもの頃、お寺のお堂の横の位牌の置いてある場所は、夏に行くとひんやりして花の香りと花の少し枯れたような匂いが入り交じっている好きな場所だった。」と友だちから聞きました。

ここのお供えのお花は、私の友だちの子どもの頃は、生花だったのですが、今では全部造花です。写真の花も生花に見えますが、実は造花です。
位牌堂の花が生花から造花に変わったのはお寺さんが生花の処分に困ったからだったとか・・・
友だちの家は造花でもお水を入れているというので、それは少し可笑しかったです。

見島ではお墓の花を枯らすような家は、栄えないと言われています。
そして、花を枯らす事はとても恥ずかしい事なのです。

毎日お墓参りをする習慣があります。
しきびという葉っぱのようなものとお線香とお水を手に持ち、毎朝お墓に通います。
夏はお水がすぐに蒸発してしまうので、朝夕通う人もいます。

お盆はお墓に夜の間、ずっと灯し続ける為にランプを置きます。キャンプに使うようなカンテラで、夕方灯しに行って、朝消しに行くということをします。
友だちの家は、今はそれが電池のランプになっていますが、たとえ朝消し忘れてもそのままという事はせず、一旦消してから、また灯すという動作はすると言っていました。

こちらは洗濯干場の横にあるお供えの場所です。
その土地の神様を祀っています。
隣のお家の人がお祀りしていると教えてもらいました。

島のいたるところに、お供えをしている場所があります。
誰かがお手製で色々作っているのが、とても親しみが持てます。
そこに人はいなくても、常に人のぬくもりを感じます。
古びたものはなく、いつも新しいものです。

お盆の最後の日は「西方丸」と書かれた船にお盆の間、お供えしたものを乗せて、精霊流しをします。
夜、一度海に流されるのですが、朝になると戻ってきていることもあります。
それでも、次の日の朝、すぐに片付けられたりせず、余韻が残る感じが何とも言えません。
このゆっくりした時間の流れに、人のおおらかさを感じます。
そして、そこかしこに生と死の境目があるような気がします。

写真&文 野頭尚子