森で過ごす愉しみ。多様な事情を抱えて在る生きものたちのふしぎが、ふと解ける瞬間があるんだ、と彼がいう。みなれた景色を違う環境や時間でみたとき、あるピースとあるピースが繋がって「ああ、なるほどね」やら「そういうことだったんだ」なんていって、膝をうつ。たとえばそれは、ブナの樹肌についた黒い筋。晴れた日にみては、なんで黒い筋が入っているのかわからなかったもので、それが雨降りの日に、雨水が樹肌をつたって川のように流れる「樹幹流」の跡なんだと気がつけたときは、相当うれしかったそう。

 樹幹流のことを、森好きなら知っている人もいるかもしれない。天に向かって広がり樹冠をおおう枝葉。雨が降ると、上でたくさんの葉っぱに受けとめられ枝をつたい、下へと流れ落ちる雨の粒が、いつのまにか幹で太い流れになって、大地へと染み込んでいゆく。昼間であると、ブナの樹肌をさらさら流れる樹幹流に光が反射して、とても風情があるものらしいが、この写真の樹幹流は、いつもの穏やかな流れとは別もの。大量の雨水が樹肌からあふれ出てる豪快さ、滝のような景色に、彼は夢中でシャッターを切ったそう。あんまり夢中で上を向いて撮影してるもんだから、ぼっかり開いた口に、樹幹流の滴がじゃぶじゃぶ飛び込んでゲボゲボとむせてしまって。危うく溺れるところだったな、と彼が苦笑いする。

 まあそんな状況だったから、この撮影のときに味わう余裕なんてなかったらしいのだけれど。ことばやイメージからすると樹幹流とは、なんともおいしそうだ。実際のそのお味は? まず雨水も溶かした雪水もすこぶるまずい、ものらしい。雨水は酸性を帯びているもので、生水のままではかなり臭い。そうでなくても森には彼自慢のとびきりの湧き水があって、ふだんの森滞在でそのおいしい水に恵まれていることもあり、わざわざ飲む気になれなかったとか。それがある雨の日に水汲みが億劫であり好奇心も手伝って、樹肌を流れる樹幹流を集め、いざ一服。口に含んだ瞬間ぺっぺっとはきだしまったとか……。「なるほどね」といかない体験。これもまた森が教えてくれる愉しみなのだ。

写真 細川 剛  / 文 おおいしれいこ